そのご。そのさん。 | 辻明佳のナイフとフォーク

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旅、お料理、ときどき女優。

7月30日。


母が疲れからか風邪をこじらせ、
弟も仕事をためてしまい、
私だけでお見舞いに行くことに。


ああ、またがちがちに拘束された父を見なければいけないのか、
夜中に目が覚めてないかな、
また足に虫がはってるって言ってあばれてないかな、
昨晩からやっとごはんが出るようになったけど、
おわんのフタを一品料理と間違えていつまでもいじっていた父、
一人きりで今朝は食べられたんだろか、
などなど
心配で心配で病院に着く前から涙が止まらなかった私。


ですがびっくり、
今日は、昨日とうってかわって意識レベルがかなりクリアになっていました!


今日は新たな幻覚や妄言は出ず、
会話も、ゆっくりではありますが、かなり成立していました。


ぬか喜びはすまい、でも、安心して体中のちからがぬけてしまうのを止められませんでした。


何より嬉しかったのが、朝にはミトンが取れ、午後には両手の拘束が取れて
体幹(おなか)のみの拘束になっていたこと。
たしかに、昨日まではひっきりなしに体中のケーブルをいじってはずしそうになっていたけど、
今日はそれを、必要で、ひっぱったり濡らしたりしてはいけないもの、だと認識できていた。


ただ、昨日の時点で話していた妄想については、
父の中ではすでにほんとうにあったこととして「記憶」されているらしかった。



症状は一進一退なのかもしれないけれど、
とにかく今日のことを励みにして、
もしこれから悪くなっても、風邪みたいなもんだと信じてがんばろうと思った。



以上が7月30日の記録です。


それから10日間。


毎日、願かけみたいに病院に通いましたが
(誰かがそばにいる間だけは拘束ゼロにしてもらえるので、
のんびり横で読書してたり、夕飯を見守ってたり、くらいのことですが)
その後は意識レベルが後退することもなく、
一歩ずつ一歩ずつ会話がクリアになってって
拘束も少しずつはずれていって

お医者さまも「理由はわからないんですが……」と不思議がられていましたが

とにかく、とにかく倒れてからきっちり二週間で「全快」しました。
「でもとにかく、よかったです」

抑えながらも自分のことみたいに何度もうなずいてくれた
お医者さまの顔が印象的でした。


ちなみにいまだに髄膜炎になった原因も治った理由も不明のままです。


今では趣味の野菜作りも
日々のアルコールもしっかり復帰。

プライドの高さも細かいところも元通り、
あの日のあどけなさはどこにもありません。
そのころの記憶も残ってないんだって。


まあなんでしょうね、
人が人としていきるってなんなんでしょうね。
幸不幸ってなんでしょうね。



いろんなことを考えさせてもらった夏でした。


報告、おしまい。
心配してくださったみなさま、
祈ってくださったみなさま、
本当にありがとうございました。


明日からはお芝居とかおいしいものとかのブログに戻ります。