42 アンネ・フランクの家 | 辻明佳のナイフとフォーク

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旅、お料理、ときどき女優。

2019/6/18

国立美術館の見学を終えて、次はこちらへ。

アムステルダムに行くほぼ唯一の目的だった。
プリンセンフラハト通り263番地。
アンネの家の見学。
ここを見ずしてこの旅を終えることはできない。
アムステルダムのほとんどの道がそうであるように
運河に沿った背の高い建物。
今は完全に博物館のようになっていて、当時アンネたちが隠れ住んでいた建物の面影はない。
でも、中の広さは元のままなので、
大勢が見学するには小さく、それゆえ時間予約が必須になっている。
私も予約解禁日にサイトにアクセスしたけど、すでにほとんど埋まっていて、19時台という遅めの時間しかとれなかった。
夏は22時までやってくれていてよかった……
中は撮影禁止なので、外観しかお伝えできないのは残念ではある。
イヤホンガイドに従って順に展示を見ていくので、
混んでいるように見えても、みんなほぼ同じペースで見学できてスムーズだった。
で、イヤホンガイドの対応言語の数がすごいのよ。
伝え続けたい、という真摯な願いをストレートに感じる。
ガイドの内容もわかりやすかったし、よかったよ。

あの有名な、ちょうつがいつきの本棚の隠し扉を、くぐるようにして入る屋根裏。
家財道具はすべて没収されたり、取り払われたりしてしまったのだけれど
各部屋の小さな模型なども展示してあって、
当時の間取り感がなんとなく伝わってくる。

アンネの部屋はとっても、ちいさかった。
ここに知らないおっさん(フリッツさん50代歯科医、真面目で知的な人物とされているが残念ながらアンネとは相性が悪かった模様)と二人はきつい。。。

貴重なインタビュー映像もたくさん見ることができて、
あらためて、アンネのパパ、オットー・フランクの人間性のすごさも感じたりしたよ。
アンネの日記は小学生の時に読んで衝撃を受けた。
はたちそこそこのときに舞台でも扱った。
その時に私がいただいた役どころはアンネの母・エーディトだった。
でもまだまだ、当時は、
ユダヤ人という民族が私たちや、あなたと、何ら変わらないふつうの人間であること
生きがいや仕事や才能や家族、つまり人生をもった人たちであること、
それがどういうわけか、ある日突然迫害の対象になり、大規模殺戮にまで至ったこと。
そんなのもう、あまりに私の想像力の限界を超えていることだった。
どんなに勉強しても、理解できなすぎた。

最近になって、
「戦争」は
「はるか昔に、よっぽどのバカが起こした過ち」から、
「今でもふつうに、
しかも仲間うちでは善人で通っているような人たち同士でも、
起こってしまい得ること」と
私の中で実感せざるを得なくなった。

今、ますます、伝え続ける媒介としての「アンネの家」は必要だと感じる。
アンネが毎日励まされていた西教会の鐘の音も聞けた。
これが聴きたかったんです。
すぐ隣のようなものだから、うるさく思うこともあったろうな。

外へ出てきたら、もう夜9時半なのびっくり。
そろそろお夕飯にしなくては。