てんびん座であるということ | 辻明佳のナイフとフォーク

辻明佳のナイフとフォーク

旅、お料理、ときどき女優。

小2のころにお母さんが
星占いの本を買ってきてくれた。

キラキラした美しい絵のマンガで
星座にまつわる神話をひもといてくれたりもして
何回読んだかわからない本のひとつ。

そこで私は
「てんびんは公平と平等の象徴」
「てんびん座の人は平和と平等を重んじる」
バッチリ刷り込まれてしまったのよね。

ああ私は、公平な人間でいなければならんのだ
あの時からわりと常に意識し続けているのだ。

あと、おおらか・平和主義とよく言われるO型であることもそれに拍車をかけた感ある
O型そうなんだ! いい!
全員に輸血できるとかマジ平和の血やん! クール!
と嬉しかったので
そうありたいと思ったんでしょう。
ちなみに、細かいところがあんま気にならない超大ざっぱな性格もあいまって、
マジでそれ以外の血液型だと思われたことが人生一度もありません。。。( ´ཫ` )

小学生のころは
クラスで議論する時に
自分と反対の意見の長所を指摘すると
議論が深まっておもしろかった。

そのうちに、反対立場の意見に感情移入までしはじめてしまうので
中学でやった競技としてのディベートはあんまり得意ではなかった。

大人になってからは
理解できない人を理解しようとしすぎてしまうので
嫌われたときに気にしすぎてしまい
自己肯定感が地の底に。

劇団というものすごくちいさなコミュニティの一員だった時は
自分が強くなった気がしたし
考えやとりくみかたのちがう演劇人を
平気で否定したりした。

芸術論云々はおいておいて、
どんなコミュニティにもちいさな「政治」が生まれるものだと考えたとき
劇団の上の方にいた私は
たぶんあまりいい政治家ではなかったですね。

それでも、
「人は差別してしまうものである」
「その芽をいかに見つけて、摘みとれるか」
という目を忘れないように
これからもつねに自戒していこうな! 私!


コロナ禍で、世界のいろんなゆがみが
きっと、もともと存在してたゆがみが
さらにぐっとねじれて、中から溶岩ふきだしてきた感ある。

こんなに差別的な言動があふれる世の中だったかなあ
こんなに他者にやさしくなれない世の中だったかなあ


公平と平等の女神であるアストレアは
地におりて人々の善悪を計っては裁いていたけれど
とうとう天秤が悪の方にかたむきっぱなしになったのを憂いて
神々の世界に帰ってしまった。

アストレアなき地上で
私たちは心にてんびんを持ち続けられるのかな。