ここ半年ぐらいの間に、
遠くに住んでいる友だちが
次々に気仙沼に足を運んでくれています。

「被災地をこの目で見て、
 実際にどんな風なのかを感じたかっ た」
と言って、
これまで4回にわたって
合わせて6人が来てくれました。

友だちが来るときには、
市内でも被害の大きかった場所を
何カ所かまわることにしています。


このうちの1カ所は、
テレビなどでも何度も報道された場所。
津波で打ち上げられた大型漁船
「共徳丸」です。

何度見ても、
「巨大」としかいいようのない船体。
あまりに大きすぎて、
まぼろしを見ているようです。


photo:03




船の前には
木製の古い小さな台が置かれ、
その上に、飲み物、花、小さなお地蔵さん、
仏壇の鐘などが備えられています。
手製の十字架のようなものも置かれていました。

そして船体の下には、
つぶれてぺちゃんこになった
青い車の車体とタイヤが見えたままになっています。

船があまりに重すぎて、
とてもじゃないが取り出すことができないのです。


ここに来ると、
しばらくのあいだ誰もが言葉を失います。

ある友人は涙を流し、
ある友人は近くにできた仮設のコンビニで
飲み物を買ってお供えしてくれました。

そして、
みんな一様に手を合わせてくれるのです。


この船が打ち上げれているのと同じ
「鹿折(ししおり)地区」にあった、
私の実家跡にも案内します。

たとえ跡しか残っていなくても
友だちには
私の育った場所を見てほしい
と思うからです。

ここは被害が激しかった地区のひとつで、
山に近い場所をのぞき
ほぼ地区ごと流されたといってもいいほどです。

私の家族は
震災の半年前に引っ越していて
無事でしたが、
育った家も
近所の公園も
子どものころ
毎日のように通った店も
何もかも流されて、
家の土台だけが
延々と広がる光景には
いつまでたっても慣れることができません。


友だちに
土台だけになった実家の跡に来てもらうと
震災前の風景を
ことさら聞いてほしくなって、
つい熱心に話してしまいます。

震災前まではそれほど
思い入れなどなかったのに、
人間は不思議ですね。


実家の向かいにあった水産加工場、
立ち並ぶ住宅、
昔からの商店街、
真っ青な田んぼを通る小学校への通学路・・・。

そしてやっぱりここへ来ると、
津波で亡くなった幼なじみのことを思い出します。

すぐ近所に住んでいて、
学校に行くのも
放課後に遊ぶのもいっしょでした。

そんなふうに
もうひとりの姉妹のように
ずっとくっついて育って来たのに、
彼女が亡くなってしまった現実を
まだ受け入れることができなくて、
いまだにお墓参りに行くことができません。

そのことを口にするたびに
泣いてしまうので
ふれずにおこうと
いつも思うのですが、
土台だけになってしまった
彼女の家の跡を見ているうちに
どうしても話したくなってしまうのです。

おとといもやっぱりそうでした。

でも言いたいことを全部聞いてもらって
泣きたいだけ泣いて、
涙が止まるころには
土台の上で思い切り笑っていました。


最後は、
やはり津波の被害が大きくて
たくさんの人が亡くなった
「階上(はしかみ)地区」
というところを案内します。

ここも集落ごと流されてしまった地区で、
近くに高台がなかったために、
大勢の人が津波の犠牲になりました。
土台だけになった家が累々と続き、
さえぎるものがありません。

ここを突っ切って、海に向かいます。
「岩井崎」という名前のこの場所は
震災前は観光スポットのひとつで、
岬から太平洋の大海原を
のぞむことができる大好きな場所です。

気持ちがふさぎこんだとき、
煮詰まって
どうにも縮こまってしまうときは
よくここに来て海をながめていました。


photo:02




どこまでも大きな海を見ていると、
いつの間にか
悩んでいたことが
ほんの小さなことに思えてくるのでした。


そんな大好きな場所でしたが、
震災後は海が怖くて仕方なくて、
映像で目にするのも耐えられないほどでした。
あんなにきれいで
いつも私を包み込んでくれていたのに、
裏切られたような気持ちでいっぱいでした。

どんなにきれいに見えても、
もう信じるものか。

そんなふうに思っていました。

でもその思いも、
友だちが来てくれたことで
吹き飛びました。


夏に来てくれた友だちが、
「波打ちぎわまで降りてみたい」というので、
私もおそるおそる降りてみたのです。

あんなに憎らしいと思っていた海なのに、
潮の香りがとても懐かしく感じました。

浅瀬で、
親子が足を入れて
楽しそうに遊んでいるのを
見たとたん、
何にも考えず革のサンダルのままで
ざぶざぶと海に足を入れ、
思い切り深呼吸していました。

ああ、やっと海にかえってきたんだ。

そう思いました。

きっと彼女がいっしょでなかったら、
私は海に足を入れることはなかったでしょう。

心を許した友だちが
そばで見ていてくれたから、
あんなに怖かった海に
もういちど近づくことができたのです。
ひとりでは、とてもムリでした。

また別の友だちは、
海に向かって
美しい舞を奉納してくれました。

それは「巫女舞」と呼ばれる
神様に捧げる踊りで、
海に還ったたくさんの魂が
とても喜んでいるように感じました。


こんなふうに
友だちが気仙沼に来てくれるたびに、
心が癒されていきます。

話を聞いてくれ、
共感し、
どんな私も見守ってくれる。

「これってセッションだよね」と
友だちと笑いあいましたが、
本当にその通り。
友だちを案内したあとは、
いつも格段に心が軽くなるのですから・・・。


気仙沼に来てくれてありがとう。
お祈りしてくれてありがとう。
話を聞いてくれてありがとう。

みんなのおかげで、
また海が好きになれたよ。


もっともっといろいろな人に、
きれいでおだやかな
本当の気仙沼の海を見に来てほしいです。







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