複数の新聞などのニュースによると、
ネパールの大地震による死者が
5000人を超えたそうです(4月30日現在)。


こんなとき私は

「自分は何もできない。
 祈ることのほかにできることは、皆無だ」

という気持ちにおそわれて、無力感でいっぱいになります。



だけど、ホントはそうじゃない。



「現地に行ってガレキをかきわけて誰かを助ける」
なんてことはムリでも、できることはたくさんある。



私たちは、お金で支援することができます。


コンビニの募金でも、
信頼のおける団体や個人への寄付でもなんでも、
金額にこだわらなければ
今すぐにでもできるという人は
たくさんいるのではないでしょうか。


現地で確実な活動をする団体への
義援金の送り先を調べ、
ひとつの案として
みんなに情報を提供することもできます。


被災地で必要とされている物資がわかったら、
それらを送るという方法もあります。



※ただしいずれも
「信頼のおける情報に基づいて行動にうつすこと」が重要。
現地の情報は刻々と変わるので、
自分の頭と感覚をよく働かせて情報を選ぶことが
非常に大切だと私は思います。






2011年の震災のとき、
「お金は何の役にも立たなかった」
ということを言う人がいましたが、
私はまったくそうは思いませんでした。


被災したってなんだって
貨幣経済が崩壊したのではない限り、
お金は絶対に必要なのです。


私も被災しましたが、
あのとき財布にいくらかお金があったおかげで
空腹や寒さをしのぐための最低限のものを買い、
エンジンを切った氷点下の車中で
避難所に移るまでの2日間を
なんとか生き残ることができました。


その後の個々の生活を立て直していくのにも、
町や地域をつくりなおしていくのにも、お金は必要です。



もちろん祈りは必要だし、
ただそれだけで深い意味のあること。


震災のときに世界中の人たちが祈ってくれたこと、
それが今なお私たちの大きな力になっていることは
一生忘れようがないことです。


だれかに向けて祈ることは
人間の持つ最も美しい性質のひとつであり、
「私たちの意識こそが世界を作る」
というのもまったくその通りだと思います。









それでもなお、
祈りを実際の行動に変えていく必要がある
と私は思うのです。


なぜならこの現実の世界では、
緊急であればあるほど
目に見える実際の行動がモノをいうからです。


あの震災のとき、
世界中の数えきれない人たちが
すぐに立ち上がって行動してくださったおかげで、
私たちの今があります。



この広い世界、
人間の力ではどうにもできないことがあるのは事実です。


でも同時に、できることだってたくさんあるはず。



「なにもできない自分」

に酔わず逃げこまず、祈りをこめて行動する。




自分を犠牲にする必要はひとつもないけれど、
ほんの1ミリでも
「今の自分にできること」
をしてみることではないでしょうか。


祈りと行動はセットなのだと、私は思います。






私は昨夜、家族とふたりで
気仙沼市内にある
ネパール料理店「Yeti(イエティ)」で夕飯を食べ、
会計してから
店内にある募金箱に
食事の合計額を少しオーバーするぐらいの
お金を入れてきました。






おいしいネパールカレーを食べられたし、
募金することで
震災のときに支援してくれたネパールの人たちに
ほんのわずかでも
お返しができたような気持ちになって
ちょっとホッとしました。



それぞれの人がそれぞれの方法で、
できることをしていけたらいいですね。






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熊谷圭子ウェブサイト
http://www.hadashinok.com