人間はそれがどんなに理不尽でも、
つい自分を責めてしまう生き物だ。


「あのひどいこと」を経験して
神をののしる自分をヒトデナシだと決めつけ、
月日が過ぎているのに
何度も悲しみに舞い戻ってしまう自分に
誰よりもつらく厳しくあたってしまう。



いまこの瞬間に幸せになれないのは
すべてオマエのせい。


オマエの心が、
その後ろ向きな考えが、
あのときにああしたから(しなかったから)
幸せになれないのだ。



私たちはそう言って、
過酷な場面を体験した自分自身を
だれよりも厳しく責めたててきた。


何ヶ月も、何年も、何十年も。


十分すぎるほどの年月とエネルギーをそそいで。




だからもういい。

もういいんだよ。


今ここで幸せを感じられないからといって、
自分を責めなくていい。



いまこの瞬間に幸せを感じられないからって、
それがなんだというのだろう。


身も心も
粉々に破壊されてしまいそうなことを引き受けながら
気も狂わず
自分をまっぷたつにしてしまわず、
今の今まで生きてきた。


泣きわめこうが
悲しみに沈もうが
怒りに狂おうが
それでも朝には目を覚まし、
ご飯を食べ水を飲み排泄し、
息を吐いて息を吸って、
生きて生きて、いまここにいる。



それだけで十分。十分なんだよ。



自分も他人も破壊することなく
こうして今ここにいるという
ただそれだけのことが
本当はどんなにすごいことなのかを、
あなたは、私は知っている。



幸せになりきれない自分を、そのままいさせてあげよう。



ひとも自分も何も壊すことなく、
そのつど闇の中から立ち上がってきた
戦士のように勇敢な自分がいることを、みとめよう。



私たちは
悲しみや怒りや絶望の底から何度でも立ち上がって
きょうを生きていく。



しぶとく、したたかに、なにがあっても。





弱くて強い私たちは、この世の祝福そのものだ。





















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