Haluですsumire.



今、読みたい本がいくつかあります。


その中のひとつ
この本は読み進めやすい!

ただ
アクセスバーズ®などアクセスコンシャスネス®の世界を知ってるかただと
入りやすいかな~と思う本です。

問いかけが多いので
私の感じる流れに委ねられている感じで
今の私には程よいのです。





私は本を読まない子どもでした。
ファンタジーは好きでないし
ここでもリアルを求めているので
実用的な本が好みなのです。

しかし本をあまり読まずにきたので
語彙能力があまりなく
ハッキリ申しまして本を読むのは億劫です(笑)

「じゃあ本読まなきゃいいじゃん!」
なのですが
本屋には何時間も居られる程
書籍が好きなんです。

パラパラする感じ
紙の手触り
言葉の美しさに触れることや
グッとくる言葉に出会うこともあります。


中学生のころから
電車通学で街中を通るので
必ずといっていいほど習い事までの時間
大型書店にいりびたり。

買って満足するところもあり
本を収集するのが趣味って言っていいくらいかも。




しかし地震前に
かなり本も断捨離して
家には随分本が少なくなりました。

必要とする本に限定していきました。


そして
今回メタフローラの中で
言葉に対しての思い込みだったり
私の価値観だったり
言葉がわからなくなり怖くなったり
逆にいとおしさを感じたり
良いも悪いもないと腑に落ちたりしてます。
。。。

だからこそ
より一層読みたい本が限定されてくる感じがあります。



読めるか読めないかは別にして
タイミングがきたらすんなり読めるのかなと思っています。

『あるヨギの自叙伝』という本も
ヨガTTを受けた後に買って読んでみても
「?」
わかるようなわからないような
そんな感じでした。

最近書店でパラパラしてみると
以前よりすんなり読める感覚。
こんなに読み進めやすい感じだったかな?!
あれ?!って思いました。

きっと何度も手にしながら読んでは
感じることが変わってくるような
バイブル的な本なのかもしれません。



バイブルといえば…

私は本が読めない割には
中学生~高校生の間に
聖書は全て読みました(笑)
しかも2度。
3度目は創世記を読みきれずくらいで終わったような。。。
紙触りが好きでしたしね。

中高一貫教育のキリスト教の学校で
いじめられたりもしてましたので
助けて欲しいって感じで
聖書にすがる気持ちだったんです。

ただ、かなりガチガチに
「こうしなければならない」
に凝り固まった感じです。
そう
今だったら
もっと素直に深いところを拾って読めるのかもですね。

まぁ、読みませんが(笑)




それに気づいたことを機に
本を読むより
経験こそ全てだと諦めてきたように感じます。

人のお役にたつには…
人の気持ちがわかるには…
『ツラい経験こそ役にたつ』
それが全てと思ってきたから
更に私はツラい過程を辿ってきたようですが。。。

あ~勘違い~!



私は35才くらいまで
自分を蔑ろにして
人のお役にたちたい思いで生きてきました。

気づいて段々と
緩んできた感じかな。

母は
母自身と家庭はさておいて
他人へのお世話が好きな人で
羽振りもよくて借金してまで周りにあれこれしてきました。
周りから優しいイイ人だと言われてきてました。
周りにいい顔するから
母は私に依存している人でした。

聖書とかにも自己犠牲的なことが書いてあることにしか目につかず
自己犠牲こそが優しさだと
人のお役にたつことなのだと
勘違いしてきていたことが
苦しさを作ってきていたのです。

頭では気づいてわかってましたし
過去より断然緩まってますが
ブログに綴ってみて
心が苦しくなりながらも
胃のつっかえはスウッ~としました。

あ…
ここが
ずっと引っ掛かってきている要素なんだと
腑に落ちました。




昨日
おサイフを探している夢に母が出てきたり
母の誕生日の数字と同じ数字をテレビや車ナンバーでみたり

昨日受けた
ボイジャーセッションで出てきたことと
繋がった感じです。


一人では気づけませんでした。
ゆかさん、セッションしてくれてありがとうほっこり



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