母の要介護状態区分が
変わった

要介護5
から
要介護4

ただ
食べて寝てTV見て
好きだったナンプレ(数独)も
折り紙細工も
趣味は書道だったのに
鉛筆も持てなくなって
指先が麻痺して
何もできなくなって…
足首から先の感覚がなく
歩けない立てない状態から
1年

鬼娘の
工夫とスパルタと
母の負けず嫌い
功を奏し

歩けはしないけど
つかまり立ち姿勢保持
フェルトペンから始まり
5B鉛筆で文字が書けるまでの
状態にまで
漕ぎつけた

おそらく
これ以上を望むのは
難しいと
わかっている

介護に関して
全く知識が無い状態で
救急車で運ばれた病院から
退院してきた当時

ネットとYouTubeが
頼りで
1から独学…
移動、移乗、食事道具の工夫…
24時間
鳴る呼び出しブザー

体制が整うまでが
大変だったけど

とりあえず命に関わる病気はなく
恒例だけど
身体の痛み、麻痺、痺れ、変形
動けないだけだから

体制が
整えば
ルーティンを
こなす日常になった。

車椅子生活で
週に3回デイサービスに通い
月に1週間程度
ショートステイに出る母は

ひたすら引きこもりのような
生活を続けている私なんかより
ずっと
ずっと
社会的に生きている。

普通ならば
何ヶ月も
何年も
待機しなくてはならない
施設入所を
申請からほんの2ヶ月で
可能になった知らせを受けた時

施設見学や説明を受けて
認知症が全く無い状態の母を
どうしても
入所させる決断がてきなかった。

私の心の問題に関して言えば
私は母と一緒にいてはならないはずだ。
それなのに
また
この期に及んで
良い子を演じ?自分が我慢する道を選んだ私は
何をやっているのだろうね。

全てにおいて
共依存にしか
生きられないのかな。


































































































人生で

あまりにも

本当に

自分に

大切なものを


代わりに

失ってばかりいる


愚かもの


だけど

判断がつかないのだ


普通ならば

瞬時にどうするべきか

つかねばならない

いや

つくであろう


その簡単な判断が

私には

できないのだ。


同じ間違いを

繰り返す


本当に

本当に

途方に暮れている