こんにちは。どうしても書きたいことがありましたので、更新いたします。

 

ツレと1ヶ月前くらいにフと話したことなんですが。

 

 

 

 

 

 

当事者のツレからすると「吃音」という名前に違和感があるとのこと、確かに言われてみると私もどうしてこの名前にしたんだろうって疑問が湧いてきました。

 

 

 

「吃音」や「どもり(吃り)」って言葉、私はツレと出会うまで全くもって知りませんでした。

きっと、「吃音」、「どもり(吃り)」という文字が見えたり聞こえたりしてもスルーしていたと思うのです。その言葉に全く馴染みはありませんでしたし、症状を連想させることも全くなく想像できないのです。

 

 

 

私は「どもる(吃る)」という言葉も知らなかったわけで、「吃」って文字も、もちろん知りませんでした。

 

 

 

 

言葉や名前って人に認識してもらうためにあると思うのですが「吃音症」という正式名称に「吃」を使うのは何か違和感を感じがします。

 

 

 

 

 

私のように「吃音」の「き」の字も知らない人がいる一方で、当事者の方からすれば「どもり(吃り)」は正に差別用語。「吃」の字を見るのも嫌だっていう当事者の方は少なくないと思うのです。

 

ツレも、3月までいた職場で、「どもり」と、吃音当事者のご高齢の方をバカにする職場スタッフの人を見て、どれだけ心を痛めていたか。職場スタッフの方が、当事者の方が帰った後に「今日の⚪︎⚪︎さん、どもりがひどかったね。笑」とバカにしていたそうです。

 

当事者は、「どもり(吃り)」に対する言葉に含むまれる差別(バカにされる)に苦しんでいるわけです。

 

 

 

 

なのに、正式名所に「吃」を入れる。

「吃」という感じを分解すると、「口がほしがる」という意味になります。正に当事者の気持ちを訴えているのかもしれませんが、その言葉の意味が切なすぎて、感情的な言葉というか。

 

 

少なくとも医療現場で使う用語としての「吃音」は、正しくないと思うのです。医療はなるべく客観性が求められます。只でさえ人の体のことで感情的になりやすい医療の現場で、感情を含んだ字を採用するというのは、違うのではないかと思うのです。

 

 

 

 

 

昔々、「認知症」は、「痴呆(意味:愚かな人)」や「ボケ」と言われていました。しかし、今や「認知に問題がある病気」としての病名をつけているのです。

 

昔々、「統合失調症」は、「精神分裂症」と名付けられ「精神が分裂する病気」と人格否定されるような名称でしたが、「感覚の統合が困難になる病気」として病名を付け直しているのです。

 

 

 

 

 

 

こうやって、病名というのは、主観や人の感情を揺るがさないように客観的な名称にする、もしくは改められています。

 

 

 

 

 

「どもり(吃り)」は差別用語として認められているのにも関わらず、なぜ正式名称に入れたのでしょうか。ちょっと考えると「どもり(吃り)」の認知度が高いからということになりますが、差別用語の認知度が高いからといってそれを踏襲されるのは??な感じがします。

 

 

 

そもそもです。「どもり(吃り)」という言葉をさらに考えてみるとなんですが、、

 

「どもり」という言葉はまずまずの認知度はあるとおもうのですが、「吃り」という言葉・漢字の認知度は半減するのではないでしょうか。「どもり」という言葉が使われる場面というのは、日常の会話の中で「あいつはどもりだ」のような「聞く」言葉であって、読む言葉として「吃り」を使うことは少なく、「どもり」という言葉を使っている非当事者でも「吃り」という漢字があることは認知されてはないではないかということ。ただ単に、吃音に対して敏感にならざるをえない当事者が「吃り」という漢字を知っているくらいで、世の中一般的には「吃」という字は、認知度が格段に低いと思うのです。

 

 

「吃音」という名称をつけられた方は、知恵を絞って認知されやすいようにと名付けてくださったとは思うのですが、よくよく考えて見ると、余計わかりにくくしている名称のような感じがします。

 

 

 

 

吃音症の学会ができましたよね。「吃音・流暢性障害学会」って、ツレと私とで話をしていたのですが、吃音って「流暢性障害」だよねってこと。

 

もちろん、流暢性障害には、吃音以外も含まれるので、吃音と限定するならわ「発話流暢性障害」とか「発語流暢性障害」とか、これだったら、吃音のことを全く知らなかった私でも並べられた漢字を見るだけで連想できますし、何より、差別的な意味合いが全くないので客観的に疾患を捉えることができると思うのです。

 

医療従事者が、連想できる名称にするってことも大事だと思います。医療の現場では、「誤嚥」やら「褥瘡」やら「胃瘻」やら、難解な言葉で溢れています。沢山勉強しなければならない医療従事者のためにも、わかりやすい文字を採用することは、吃音の認知度を高めることへの第一歩になるように思うのです。

 

 

 

 

 

「どもり」から「吃音」へ変更し、差別を回避したハズなのに、「吃」は採用。認知度は下がるだけで、非当事者に「吃音」と言っても「??」ってなって説明しなければいけない始末。なのに、なぜか差別的意味合いを含む文字だけが残るという顛末になってしまったような。。

 

 

 

なんかおかしい!!と思ったので。