歓びの種

歓びの種

お山の樂校の代表あいこのおしゃべり部屋。お山のスタッフとして、2人の娘の母として、愉快な4人家族のひとりとして。日々のいろいろな出来事から私が感じることや私から見えている世界を、氣ままに書いてみようと思います。

自分の奥底の感情を感じたくなくて

怒りという感情で蓋をしていること

 

その怒りを表現することが怖くて

恐れの感情でさらに蓋をしていること

 

そんな層みたいな感情のしくみが

自分なりに理解できてきて

それをひとつひとつ

取り除くことをしていった時

見えてきたものがある

 

子どもの頃の私は、

お母さんに言いたいことが

言えない子だった

 

言いたいことを言い始めるんだけど

言ってもわかってくれないと感じると

「もういい!」とふてくされて

部屋にこもっていた

 

今思えば、自分が伝えることをしないで

勝手に拗ねてるだけやんって思う

 

自分も大人になって

お母さんを1人の人として見た時に

あの頃のお母さんの言動も理解できる

 

だけども子どもの私は

 

「言っても分かってくれない」

「伝えたいことが伝わらない」

「どうせ否定される」

 

そんな思い込みを作り出し

それを大人になった今でも

ずっと隠し持っていた

 

そんな思い込みが自分の中で

 

伝えたいことを伝える緊張感

言っても分かってもらえない時の恐怖感

否定された時の恥ずかしさ

 

として ずっと残っていた

 

残っていたのに

そこを感じたくないから

 

お母さんみたいにはならない!

お母さんと私のような親子関係にはならない!

私の方が正しい!

理解できないお母さんが間違ってる!

負けるもんか!

 

っていう怒りの感情にすり替わり

 

だけどその「怒る」という表現を見せることにも

恐れがあったから、そこと向き合わずにきていた

 

子どもの頃の私の本当の望みは

 

お母さんにもっと分かってほしい

もっと自分のことを理解してほしい

 

だったと思う

 

だってお母さんのことが好きだったから

もっと仲良くなりたかったから

もっと近づきたかったから

 

奥底の本音はそこなのに

そこを伝えるのが怖くて

なんだか負けてしまう氣がして

避けてきたんだ

 

勝ち負けなんてないのに

 

心の奥底に隠し持っている痛みを

感じないようにするために

硬い盾を構えて今まで生きてきたのかもしれない

 

盾を構えてることにも気づかず

 

そんな根っこを持っている自分の輪郭が

はっきりと見えてきた時

この思い込みの上に成り立っている

”今”というものもはっきり見えてきた

 

今までの自分がやってきたことや

やりたいと思っていることや

周りの人との関係

 

そのぜんぶぜんぶがこの根っこを持っている私が

創り出してきたものなんだってことに氣づく

 

長いこと戦ってきたんだなぁ

 

お前の言うことなんか聞いてもらえないぞ

否定されたら傷つくぞ

こういう自分でいないとダメだぞ

 

そんな自分の中の自己否定の声との戦い

 

誰から言われてるわけでもないのに

子どもの頃の思い込みが自分を否定してくる

 

だけど”感じるままに生きたい”という

本能のような望みが湧く限りは

この自己否定をすんなり受け入れる

自分にはなれないのかもしれない

 

だから葛藤し 戦い続ける

 

もう手放そう

 

戦わなくても大丈夫

隠さなくても大丈夫

どの感情があっても大丈夫

どんな自分でも大丈夫

 

怒りも恐れもとことん

向き合って感じきって

 

盾を捨ててこれからの現実を創っていく

 

きっと種類は違えど誰もが自分の盾を

持っているんじゃないかな

 

だったら私は 

 

私から

 

盾を捨ててみようと思う

 

ちょっと怖さはあるけど

 

相手を信頼して

自分を信頼して

世界を信頼して

 

そしたらどんなことが起こるかな

 

今よりもっと

人と繋がれそうな氣がする

 

今よりもっと

力の抜けた自分でいられそうな氣がする

 

今よりもっと

大切な人たちと近づけそうな氣がする

 

今よりもっと

自分を好きになれそうな氣がする

 

今よりもっと

人を全肯定できそうな氣がする

 

今よりもっと

本当にやりたいことが湧いてくる氣がする

 

自分の根っこが抜けた先の現実が

どう変わるのかを見てみたい