岡山にある百姓屋敷わらの船越康弘さんとの
出逢いをきっかけに、私の心にずっと居座っている言葉。
「正しさ暴力」
子どもとの時間の中で、それはないでしょ〜って言いたくなる場面があります。
朝起きてから不機嫌な態度。
使ったもの出しっぱなし。
好ましくない言葉づかい。
誰かのあれこれが私にとって不快に感じる時、私の中では「私の正しさ」が大声上げています。
特に子どもが相手となると、私の方が解ってる!って氣もちになってしまうこともあります。
朝は機嫌よく挨拶する方がいい!
自分で使ったものは自分で片付けるのは当然!
そんな言葉づかいはよくない!
そんなふうな私の価値観のものさしで相手を測っている時は、必ず相手を悪者にしています。
そんな時に思い出すのがこの言葉「正しさ暴力」
私にとってはそれが「正しい」と思えるかもしれないけど、相手にとっては相手の思う「正しい」がある。
私が正しいと感じることを私が大切にするのは自由だけど、私の正しさを相手に押し付けることは暴力と同じくらい傷つけてしまうことがある。
自分の中の声に深く耳を傾けると、
私だったらそんなことやらない!
っていう、自分への縛りも浮かんできます。
自分もやりたかったらやってもいいのにね。
自分ならやらないっ!
そんなことはやっちゃいけないよ!
って自分に厳しくしてるから、相手がそれを平氣でやるのが氣にくわない。
結局自分のことも押さえつけてるから、イライラ、モヤモヤすする。
どこかから身につけた価値観からの正しさでお互いに傷つけ合うのはもったいない。
「正しさ暴力」
相手を否定したくなった時、相手を悪者にしてしまいそうな時、いつも自分の中で「私の正しさ」が大暴れしていないか氣づかせてもらえる言葉です。