やりたいこと | 歓びの種

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お山の樂校の代表あいこのおしゃべり部屋。お山のスタッフとして、2人の娘の母として、愉快な4人家族のひとりとして。日々のいろいろな出来事から私が感じることや私から見えている世界を、氣ままに書いてみようと思います。

年始めの家族サークルで、今年家族でやってみたいことを決めました。


私からの提案は家族みんなで

「心に浮かんだやりたいことをひとつひとつやってみる」

です。


「今年の目標は?」「今年やりたいことは?」って聞かれても、娘二人は「そうやねぇ〜」って思案して捻り出さないと思い浮かばない。

(私もそうかも)


考えて作り出した目標なんて、あんまり意味がないです。


目標や夢なんて言葉になると大きなものを描かないといけない氣がして「そんなものないなぁ」とかなってしまうけど、やりたいことって日々数え切れないほど浮かんでるものです。


子どもの場合、

「あ〜、まだ寝たい」

「アイス食べたいな〜」

「ゲームしたい」

「You Tube見たい」

とかだったりたりして。


やりたいこといっぱい浮かんでるんだけど、

「でもなぁ〜」って氣持ちも同時に浮かんできて、

その望みに蓋をしてしまう。


それはおとなにNOと言われることだったり、自分でダメだと決め込んでたりすることもあったりして、自分に浮かんだ「やりたいこと」を叶えてあげることを自分の心の中で否定してしまう。


子どものそんな望みは、おとなからしたらくだらないと感じることだったり、「やらない方がいいこと」に思うことだったりもするけど、その子にとっての「やりたいこと」は、今、ちゃんとそこにあります。


小さな子どもほど、それをたくさん持っています。


あれこれやりたがる、知りたがる、行きたがる。

それがおとなにとっては困りごとだったりもするけど。


だけど、見る視点を変えると「めっちゃやる氣のある子やんっ」「めっちゃ自主的に動くやんっ」って見え方もあるよねって思うんです。


そのステキなやる氣を持ったままおとなになれたら人生楽しそ〜って思うけど、だんだんとそのやる氣が小さくなっていくのが今の「おとなになる」ってことのようにも思えて、それはザンネンだなと思ういます。


だから小さな子どもの頃のように、その「やりたい!」の感度を高くしたい!というか、取り戻したい!


そんなふうに思って、まずは日常に湧いてくる些細な「これやりたい」に氣づいて、自分でそれにオッケーを出して、行動する、ということをやっていくことに、家族で取り組み中です。


中学生の長女の…

アイス食べたい〜も、

カラオケ行きたい〜も、

昼まで寝る〜も、

全部、浮かんだからにはやってみる。


着替えて買いに行かんといかんや〜んとか、

お金減るしなぁ〜とか、


そんな蓋は外して、まずは動いてみる。

自分で「無理」「できない」と思ってる枠を飛び越えてみる。

一緒にいる私も、あ〜だこ〜だ言わない。

私好みのことじゃなくても、あれこれ言わない。

本人がやりたいことを、それぞれがやってみる。

その執着を手放せたら、私の方も蓋もひとつ外れる。


自分の望みを最優先させるって楽なことばかりでもなく、時には恐れや恐怖と向き合う作業もあります。


「私はこうしたい」という望みを叶えるために、誰かに言いにくいことを言わないといけないとか、人の目を超えて行動しないといけないとか、そういうこともあります。


決して楽な方に流れるだけのことではないです。


だけどそこも超えて自分から浮かんだ望みを自分で叶えてあげると、満足するし、心が喜ぶし、自信が湧くし、氣もちにゆとりが出ます。

望みと同時に否定する氣持ちが湧いてくると、憂鬱になったりイライラしたり、やる氣がなくなったりします。


自分で決めたことを行動に移していい、という感覚の積み重ねって、自分への信頼にも繫がる氣がしています。


自分の我慢が減ると、他人への厳しい目も減ります。自分に我慢がたくさんあると、他人にもそれを強要したくなります。


自分の心を満足させることは、他人との関係も優しいものに変えられる、そう思っています。


まずは自分で自分に優しく。

 

自分の欲求のままに行動してたら社会では通用しないよ、なんて言われるかもしれません。

だけど、一番大事にしたい自分に我慢をさせて、社会に合わせて感情を調整しないといけない社会なら、それは変えていきたいです。


自分に甘く優しい人たちの集まりが、ワガママ放題の社会になるとは思いません。

きっと優しさで循環できる社会になる。


私はそんなイメージを持っています。


お山の樂校でも大切にしている想い

「頭に浮かんだ想像に間違いなんてない。

心に浮かんだ感情に善し悪しなんてない。

私たちは、それぞれに想い描いて重ねていける。」


お山っ子たちの暮らしも、それを大切にして過ごしています。

おとなの私も、浮かんでしまったからにはひとつひとつ叶えて、自分の蓋を開けていくことにチャレンジ中です。