何のために生きるのか
猫ちゃん、お散歩中
「何のために生きるのか」
辛いことが起こるたびに考えてました
こんな辛い目に遭うのなら
生きていたくない...
父の人生から
父が虹の橋を渡る前から
なるべく話しをしようと
体調が良さそうな時を見計らい
父の部屋へ行って
何気ない話題をふっていました。
梨が美味しいですね🍐
父はあまり身体の丈夫ではない
お人好しの父(私の祖父)の代わりに
中学校へは行かずに働いて稼いだそうです。
「中学校へは行かなかったの?」
『戦争でよぉ、食べる物がないんだよ。うちはあんまり裕福じゃなかったら、家族が食べるもの買うために日銭稼がなきゃならなくてな』
お爺ちゃんは子供達に食べさせる為に自分はご飯を食べずにいて、栄養失調になってしまったんです。父は倒れたお爺ちゃんの代わりにまだ13歳という年齢で働いたそうです。
炭を焼いてその炭を夜行列車に乗り、東京に売りに行ってました。鬼滅の刃の炭治郎みたいに
「それでいくらになるの?」
『闇市で売るから、サラリーマンの日当より貰えるんだ。ただ、闇市だから警察に見つからないようにしなくちゃでな。何度か捕まったけど、あの頃だからよ、警察も子供だからと見逃してくれたんだな。警察は仕事だから、捕まえないわけにいかなくて警察に連れて行くんだけど、椅子に座らせると『ここでちょっと待ってろな』って居なくなるんだ。だからその隙に逃げ出してな(笑)』
生きる為に毎日必死に働いていたんだなとしみじみ感じました
早朝に東京に着くとお昼頃までには売り切ってまた家に戻って、稼いだお金でお米を買って帰宅。
翌日はまた炭を焼いて、夜行列車で...そうやって2年ほど凌いだそうです。当時は中部地方に住んでいた父はその後にこの県内にきました。
「ここに来たのは何歳頃なの?」
『高校にあがる年かなぁ。ほんとは○○高校に行く予定だったんだ。でも親父が願書出してなくてなぁ。だから行けなかったんだ。』
○○高校というのは県内で一番と言われるほどの偏差値の高い高校です。
そこに入学出来るのだから、とても頭が良かったんです、父は。もし、その高校を卒業していたら大学進学してかなり出世してたのでは...と、憶測ですが思ってました。
もし、出世してたら私はこの世に居ないんですけどね
お爺ちゃんが父の願書を出してなかったのは、忘れていたと以前聞いていましたがこの時は何か思うとこがあったらしく
『わざと出さなかったのかもなぁ。俺が学校へ行ったら稼ぎ手が居なくなるからなぁ』
もし、それが本当なら父は家族のために
自分を犠牲にして生きていくためにこの人生を費やしたと言うことになります。
それを知った時に
これまで父に対して吐いた暴言や
当たり前だと感じて甘え切っていた自分が
とてつもなく恥ずかしくなりました
父には散々迷惑をかけてきたので
きちんと話しをする機会がなかったんです。
不甲斐ない出来の悪い娘でしかない私を父は憎んでいるように感じることも多くて怖かったんです。
今から10年以上も前ですが、私が鬱病で寝たきりになってる時、父は文句を言いながらも食事を作ってくれました🍽
食べる事だけは、常に心配していつも援助してくれました
あの頃はわからなかったけど、
『生きる』という事を父は教えてくれていました。
何のために...
そんな事は関係なくて
【ただ生きる】
だから、私の
『死にたい』なんて、言葉には
共感ではなく
「死ぬ気になればなんでも出来るんだ!」と喝を言われたのだと今ならわかります