私の歩く道 | 笑顔で世界を歩く・愛され姿勢美人の魅力研究♪

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愛され姿勢づくりの専門家・みちのえみこ オフィシャルブログ

恵比寿の姿勢美人のここだけの話。姿勢科学に基づくからだの話、
日常のできごとや気づき、などを綴ります。

昨日の夜、BWAの懇親会で
みやこやステキング、
ゆうきさんと話をしていて、
久しぶりに
何年か前の
自分のことを思い出した。


その頃の私は。

働く目的を
見失って、
お金を稼ぐ意味も
見いだせなくて、
ほしいものも特になくて、
人生に目指す目標も
なかった。

もうやることやっちゃって、
これ以上望むことはないな、
とすべてに満足しきっていた。

たとえば、
扶養すべき家族がいたり、
子供を育てたりしているなら、
自分の生きている意味も
あるんだろうけど、
そういうこともなく。


生きている理由といえば。

特に死ぬ理由がないことと、

親が生きている限りは
子供としては
生きていなければ
ならないんだろう、

と思っていたから。


贅沢なことだと
わかっているけれど、
これは本心で。

ほんとに
そう思っていたことが
あった。


仕事は嫌いなわけじゃないし、
それなりに楽しんではいた。
でも、
頑張る理由がなにもなかった。

私が生きている意味を
無理矢理つけるために、
給料から一定額の寄付をすることで、
一応、誰かの役に立っている、
という安心感を
得ようとした。

でも、そこから
満たされる気持ちはなくて、
かえって
押し付けがましい気がした。


ただ、一つだけ、
幼い頃に体の弱かった自分が
健康になって、
体力もあって、
動けていることには
何か意味があるはずなのだと
思っていた。

自分のためだけに
使う体じゃないんだろうなあ、
ということ。


今、
私は人に、
健康なからだであることが
どういうことか、
問いかけたり、
誰かがこの先も
健康であるための
サポートをする仕事を
している。

それって、
あの頃の私があったから
たどりついたんだと思う。

人間は、
生きることの意味や
働く目的を
求めたがるもの、らしい。

そういうことが
わかって、
納得をしてから、
初めて、
自分を生かす道に
向かっていけるのかも。


ばくぜんと、
そんなことを考えてみた、
土曜日の夜。

でした。


えみ