NICUにつくとすぐに処置が始まった。
お母さんは外で待っててくださいと言われNICUの廊下で待っていた。
クラークさんから入院の手続きと説明を受け、やっぱりすぐには帰れないんだ…と思った。

義父と夫が車で到着した。
義父は店を閉めてきた。夫は予約のお客さんがいたので昼過ぎにまた病院に来ると言って仕事に戻った。

夫が私の母に連絡をしてくれて新幹線に乗って向かってくれていた。

義父と待合室で待っている間何度も看護師さんが来てまだかかりますのでお待ちください。お母さんは産後すぐなのでよかったら別室に案内するので横になって休んでくださいと言われたが横になんて慣れなかった。

1時を回った。
お昼に病院になんて戻れなかった。
母が来た。
母の顔を見たらまた涙が出た。
母にあんたがしっかりしないでどうすんの!と言われ泣くことを許されなかった。

検査が終わりましたので、お父さんとお母さんはお入りください。

と看護師さんに言われた、夫が仕事に行っていてあと30分くらいかかることを伝えるとお父さんが揃ってからにしましょうと言われた。

それ程重症なんだ…と思った。

夫が到着し、手を洗いアルコール消毒をして不織布のガウンをきてマスクをしてNICUに入った。
娘に会う前にまず別室に通され説明を受けた。

エプスタイン奇形
三尖弁がかなり低位置にありほぼ機能していない。そのため右心室が小さい。そしてそこに通じている肺動脈が細く弁も欠損している。

肺に血液を送れず酸素を含んだ血液が全身を巡らず、酸素のない血液も逆流していて血中の酸素濃度が低い。

改善策としてまず動脈管をあける点滴を足から入れた。
これは体の中を進ませて心臓の近くまである長い点滴。ということ。

このままではいられないので手術をする。
2歳くらいまでに3回。
それがすめば小学生になる前位までには成長も追いついて学校に通えるでしょうとの事でした。

自分に起きたこととは思えなかった。
泣きながら説明を受けました。

それから娘に対面しました。
まだ生まれて1日もたっていないのに管に繋がれて眠っていました。
本当はもう母乳をあげていたはずなのに…。
母子同室で5日間ラブラブで過ごそうと思っていたのに…。
手術をして助かると言われても悲しみは消えなくて、現実を受け止められませんでした。

処置をしたので一命をとりとめていますがまずは2~3日が山です。
お薬が効かない子もいますから。
緊急の手術をしなければならない場合もありますし最悪の場合もありますから携帯電話を手放さないでくださいと言われ、病院に帰りました。

夫と母は私の病院の面会時間ギリギリまでいてくれました。
母はそのまま私の家に泊まってくれました。

病院に戻り先生に病状を説明しました。
私はたんたんと説明をしていましたが先生は声を出さずに驚いていました。

夜はお祝い膳が出ました。
母と食べました。

それから3日で私は退院するのですが三人部屋ですが誰も入室してきませんでした。
気を使われたのだと思います。

助産師さんは当たらず障らずといった対応でさみしかったです。
先生には母乳を止めたら?と言われ泣きました。
絶対に母乳をあげたかったので泣きながら搾乳を続けました。

病院にいる間はタクシーを使ってNICUのある大学病院へ通いました。

3日間一睡もできませんでした。

早く家に帰ってお兄ちゃんを抱きしめたいってずっと考えてました。

病院の最後の夜我慢出来なくてお兄ちゃんに電話をしてしまいました。
お兄ちゃんも会いたくなっちゃったらかわいそうだから我慢したいたのですが我慢出来なくて…。
電話をするとおかあさん?おかあさん?と言っていました。お家帰りたいの。お母さんに会いたいの。待ってるの。って一生懸命お話ししてくれました。
お母さんも会いたいよって言うとだいじょうぶだいじょうぶ!と言ってくれました。

少し笑顔になれました。

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