【夫の暴力】10年耐えて離婚「自分のために生きていきたい」 | HappyWomanのすすめ。

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 小学生の娘の手を握りしめ、実家へと向かう最終の新幹線に飛び乗った。
 東京都の千恵さん(仮名)は、10年間に及ぶ夫の暴力からようやく逃げ出した。年の離れた夫とは友達の紹介で知り合い、千恵さんが20代の時に結婚した。
「多少短気なところはあったけれど、付き合っている時は夫が暴力を振るう人だとは気付きませんでした」と話す。

 夫の暴力が始まったのは娘が2歳の時。ガラスや洗剤を投げつけられたり、娘をマンションのベランダから突き落とそうとしたり。焼きそばを顔に投げつけられて、紅ショウガが目に入ったこともある。「本当に痛かった。それ以来、紅ショウガはトラウマ」だという。
 負傷して病院に行くと、「その傷はどうしたのか」と医師に聞かれる。明らかに自分では届かない場所に傷があっても、「自分でやりました」と嘘をついた。
 配偶者暴力防止法(DV防止法)により、不審な点があると医師から警察に通報されてしまう。疑われそうになったら病院を変える、その繰り返しだった。

■子供の父親を犯罪者にしたくなかった

 ある時、夫に首を絞められた後、頭を床に強く打ち付けられ、意識を失った。ちょうどその日、何だか胸騒ぎがしたという千恵さんは携帯電話で救急の119番を発信し、発信履歴を娘に見せていた。「ママに何かあったら、このボタンを押すんだよ」と発信履歴ボタンを教えた。
 まだ幼い娘が母親の言いつけ通り救急車を呼び、千恵さんは一命をとりとめた。すぐにICU(集中治療室)に運ばれたという。

 ある時は右足にクロックス、左足にミュールを履き、家の近くのビジネスホテルに逃げ込んだこともある。また、アルコール依存の傾向のある夫は、酒を飲むと娘の前で無理やりセックスしようとした。
「信じられない、許しがたい行為」と言いながらも千恵さんが10年間も夫の暴力に耐え続けたのは、ひとえに「娘の父親を犯罪者にしたくない」という思いからだった。もしかしたら治るかもしれない、というかすかな期待もあった。

 役所の相談窓口に行ったこともあるが、明確な対策は打たれなかった。千恵さんは「人に頼る人生ではなく、自分で立ち上がろう」と決意したという。
 まずは仕事を始め、経済力をつけた。自分で生きていける自信が付いたのは、娘が小学校5年生の時だった。夫との別居を決意し、荷物をまとめて夫の出張中に家を出た。
「パパとママは離婚するけど、ママと一緒に来てくれる?」と千恵さんが聞くと、娘は黙って母親に続いて歩き出した。

 新幹線を降りたのはすでに夜遅い時間だったが、千恵さんの母親が駅で2人を待っていた。車の中には、千恵さんの大好きな銘柄の缶ビールが用意されていたという。しっかりと冷やされたビールを一口飲んだら、涙がこぼれてきた。
「このことで泣くのは最後にしてね」と母が言った。
「ありがとう。この先、経済面で絶対に迷惑をかけないから。だから、このビール代は払わないよ」
 あの日、車の中で流した涙を忘れることはない、と千恵さんは話す。

■「幸せな離婚」もある

 千恵さんは今、会社員として働きながら、実家の近くで娘と2人で暮らしている。離婚を望まない夫との裁判は2年に及んだ。
 娘は中学生になったが、今でも時々、夜、泣いていることがあるという。

「親の離婚がつらいというよりは、自分で感情のコントロールができず、どうしようもなくこみ上げる思いがあるのだと思います」

 父親は娘との面会を望んだが、娘は「会いたくない」と言った。千恵さんに気を遣っている部分もあったのだろう。千恵さんは「私と夫の関係と、夫とあなたの関係は別だから、あなたがお父さんに会いたいなら会ってもいいよ」と伝え、離婚成立後に初めての面会が実現した。父親の暴力を見てきた娘は大人の男性を怖がることもあるが、「離れてみて、パパの良さも分かった」と今は冷静な面も見せているという。
 養育費は毎月きっちり振り込まれる。「パパはあなたのために、毎月10万円払ってくれているよ」と伝えると、娘はポロポロと涙を流す。

 娘の涙を見るのはつらい。子供には父親が必要だろうと思えばこそ離婚の決意が鈍ったこともある。
 しかし今、「もちろん娘のことも大事だけど、私は10年間泣き続けた。今はまったく涙は出ない。これからは自分のためにも生きていきたいと思う。離婚に後悔はない」と千恵さんは話す。

「離婚をすることで得るものもあれば、失うものもある。それぞれ数えてみて、イーブンか得るものが多いなら離婚するべき。失うものの方が多いなら留まるべきだと思う。私は数えてみたら、得るものの方が多かった。幸せな結婚もあれば、幸せな離婚もある」

迷いのない表情で、千恵さんはそう語った。

「離婚は暗いトンネルの中に入るようなもの。だから誰だって最初は不安になる。だけど、時間が経てば少しずつ目が慣れてきて、自分の進むべき方向が見えてくる」

 自身が経験した結婚と離婚を振り返り、「誰のせいでもない。なるべくしてなった人生だ」と千恵さんは語る。
 これから先も、自分の足で自分の人生を歩いていく。