だいじょうぶ、山のなかでも暮らしていける  アメリカの大地に種を蒔く | スピリチュアルライフ ー 原水音のマザーアースカフェ

スピリチュアルライフ ー 原水音のマザーアースカフェ

アメリカ、屋久島を経て、熊野の自然のなかで暮らしています。四人の子どもを自宅出産、自然育児で。スピリチュアルでエコな体験をおしゃべりしちゃいます。

 

 

森に囲まれた草原には、野生の花々が咲き誇っていた。

 

雲ひとつない青空の下、カリフォルニアポピーがオレンジ色の

 

つややかな花びらをそよ風にゆらして手招きしている。

 

りんと頭をもたげた紫のルピナス、

 

淡いベージュのワイルドリリィは、貴婦人のドレスを飾るレースのよう。

 

村長の息子の小さな、ふっくらした手を握って草原を駆け出していく。

 

足もとの花を踏まないように歩くことなんてできない。

 

天使の花園に寝ころがって太陽のキスをあびた。

 

笑いがこみあげてくる。

 

帰ってきた。

 

ここは、たましいがダンスを踊る場所。

 

音楽がなくても風の音が、ミツバチの羽音が、コヨーテの鳴き声が、

 

わたしを震わせる。泣きたいくらい幸せにしてくれる。

 

 

山の春は短い。日ごとに強さを増す太陽に焼かれるようにして、

 

天使のお花畑はみるみるうちに茶色く枯れあがっていった。

 

日本なら、これから梅雨がやってくるところだけど、

 

カリフォルニアは雨季にあたる冬が終わり、

 

長く過酷な乾季の夏が始まる。

 


 

今回も、ヒデさんのヤートにお世話になっている。

 

あやまちを避けるため、村長宅に泊まっていたんだけど、

 

地面に直接、絨毯を敷いた村長の家は、

 

モグラが掘った穴のデコボコが気になってよく眠れなかった。

 

あさっての京子さんといっしょにヒデさん宅に移動。

 

京子さんがいれば、彼も手を出してこないだろう。

 

高床式のヤートは快適で、料理上手なヒデさんが、

 

畑の野菜とたくわえた乾物を使って、おいしいご飯を出してくれる。

 

冬に来たときは、のんびりしていた山の住人たちも

 

夏野菜の植え付けや種まきに忙しい。

 

「わたしも畑仕事を手伝います。」

 

「へえー、畑仕事とかやったことあるの。」

 

囲炉裏に薪を足していたヒデさんが顔を上げた。

 

「ない、です。」

 

「じゃあ、まず畑の開墾からだな。小さくてもいいから自分の畑を作って、

 

そこに種を蒔いてみなよ。」

 

ヒデさんは日本の大根の種を分けてくれた。

 

硬い土をクワで耕して、畑に変えていく。

 

ヒデさんが横から、

 

「もっと腰をいれて、クワを突き刺すんじゃなくて、クワの重さを使って。」

 

彼は自然農法の提唱者、福岡正信先生の弟子だった。

 

わら一本の革命」は世界中で出版されている。

 

自然から搾取する農業ではなく、

 

自然に深くよりそいながら、恵みを分けていただく農法。

 

ヒデさんがこの山に住むきっかけも福岡先生のひと言だった。

 

「まあ、アメリカへ行くなら、あの山へ行け。」

 

先生がアメリカ講演を行ったさい、通訳として同行したのが村長だった。

 

ヒデさんは山に着いた翌日には、日本から持ってきた赤いフンドシをしめて、

 

頭には手ぬぐいを巻き、畑の開墾をはじめたそうだ。

 

 

 

 

 

開墾を終えた畑に大根の種を蒔いて水やり。水は近くの泉から引いている。

 

約束の一週間はあっという間に過ぎていった。

 

「そろそろ街へ戻ろうと思います。」

 

村長とヒデさんにそう告げると、

 

「生まれて初めて蒔いた種をほったらかしにして帰るの。」

 

ヒデさんが笑いながら、でもキツイ言葉を投げてくる。

 

帰国することになった事情を説明すると、

 

「じゃあ、明日、ふもとの町まで降りるから、日本のお母さんに電話してみたら。」

 

村長のその言葉が、さらなる運命の大河にわたしを放りこんだ。