戦争の始まり「アナウンサーの声が兵器になった」時代があった | 原元美紀 オフィシャルブログ 「原元美紀のミキペディア」 Powered by Ameba

戦争の始まり「アナウンサーの声が兵器になった」時代があった

78回目の終戦記念日。

 

多くの人にとって、

「戦争の終わり」について一番考える日でしょう。

 

この時期は毎年テレビの終戦企画をたくさん見るのですが、

今年は14日にNHKで放送された

「アナウンサーたちの戦争」に圧倒されました。

 

この作品は「戦争の始まり」を描いています。

 

 

太平洋戦争が勃発。

 

日本軍がアメリカに戦争を仕掛け、

南方に戦線拡大していく中、

ラジオ放送による「電波戦」が展開されていました。

 

ヒトラーのプロパガンダ戦に倣い、

アナウンサーたちの「声の力」で戦意高揚、

「嘘のニュース」を流し敵を撹乱、

南方のフィリピンやビルマなど

日本語放送で占領した国々に日本化を推し進めたのです。

 

それを行ったのは日本放送協会とアナウンサーたち。

 

危ういと思いながらも国のためと信じて、

戦争の中心に置かれ、

人を守るはずのアナウンサーの声が

「兵器」と化していく。

 

実話に基づいてドラマ化、

放送と戦争の関わり、

当時のアナウンサーの葛藤と罪に向き合った作品でした。

 

もう二度とこんなことが繰り返されてはならない!

という叫びがラストシーンまで貫かれていました。

 

当時のアナウンサーたちの様子が

「アナウンサーたちの70年」(講談社)にも

詳しく描かれてます。

 

 

 

それにしても、

主役の和田信賢アナウンサーのセリフ、

「虫眼鏡で調べて、望遠鏡で喋る」。

アナウンサーのあるべき姿を

こんなに言い得た言葉はありません。

 

どの時代のアナウンサーにとっても大事な教えとして

伝えていきたいと思いました。

 

そして、時代に翻弄された和田信賢アナウンサーを

人間くさい魅力たっぷりの人物として演じた

森田剛さんは圧巻でした。

 

数々の舞台で主演を張り鍛えられた森田さんの表現力なしには

「アナウンサーの声の力」が

伝わり切らなかったのではないでしょうか。

 

 

また、演出はNHKの一木正恵さん。

 

大河ドラマ「いだてん」の演出を担当された方ですが、

随所に「いだてん」とリンクする場面がありましたね。

土砂降りの中の学徒出陣のシーンなど。

 

実は私は一木さんとは1999年頃、

NHK「週刊ハイビジョンニュース」という番組で

ご一緒したことがありますが、

いつもまっすぐ、都合の悪いことから逃げない人だった印象があります。

また市井の人にいつも眼差しを向ける人でありました。

 

戦争はいつの間にか忍び寄る。

巧妙に。

気づいた時にはもう遅いのだろう。

 

だからこそ、どうやって戦争が始まったのかを

ずっと忘れないことが大切だと、

「声」で伝えていきたいと思います。