某宗教団体とは、もともと信徒団体に過ぎなかったのである。
鎌倉時代の日蓮を開祖とする日蓮宗(法華宗)であるが、日蓮がいわゆる鎌倉仏教の他の宗派と違う点は、あくまでも法華経を護持している点である。
その日蓮大聖人の教えの系統であるところの大石寺が存在します。
その信徒たちの活動グループとして、某宗教団体は作られたのです。
その信徒団体が、1953年(昭和27年)に宗教法人となっており、それが現在でも続いている。
但し、1991年に大石寺より破門されているので、現在では信徒団体としての側面は持っていない。
某宗教団体が破門されるほど変質したのは、やはりソン・テジャク氏が第三代会長に就任以降(1960年(昭和35年))であると言わざるを得ないであろう。
第二代会長戸田城聖氏は後年、ソン・テジャク氏のことを批判し、反面教師とするよう会員に語っていたとのことである。
彼は、後継者を指名することなく1958年(昭和33年))に死去している。
だが、どうやら現在の会員の間では、戸田氏が最後までソン・テジャク氏を高く評価し、彼に後継を委ねたということが信じられているようである。
何故、それがソン・テジャク氏の後年の捏造であると気付かないのか?
それはさておき、その戸田氏が常々述べていたことが、「この組織の中に、いつかご出現されるであろう久遠の一念三千様が・・必ずやご出現なされるのだ!」と予言していたということである。
つまり、法華経及び一念三千論を正しく教えて下さる特別な御方が、この地球のこの日本のこの組織内に現れてくださるのだと、語っていたことである。
これは、霊夢として日蓮が現われて、戸田氏に述べたことに由来します。
この御方には幾つかの条件があり、それに該当する人物が、いずれ組織内から現れると、日蓮は述べていたということだったのです。
某宗教団体は、そのために存在しているのだと、戸田氏は述べていたのです。
その御方が現れたら、すべての会員はその方に従うように、組織をその御方に委ねるように、というのが戸田氏の想いでした。
そのころの会員は、その予言を信じていました。
だから、自分たちの子供や孫の世代がその御方に会えるということで、「福子(ふくし)」と呼んで祝福していたということです。
福子の本来の意味は、ここにあると考えます。
某宗教団体の存在意義は、この御方に活躍の場を与えることにあったのでした。
さて、ソン・テジャク氏は戸田氏の三回忌を経て会長に就任するのだが、その就任過程においては様々な暗躍が噂されているが、詳細はここでは省く。
そして彼は、我こそが仏であると、どうやら昭和38,9年頃から団体員に徐々に信じ込ませてきたようである。
しかしソン・テジャク氏がその予言された人物でないことは確かである。
何故なら、戸田氏が述べた条件に合致しておらず、そもそも、戸田氏が予言を受けた時には既に組織にいたのだから、もし彼であれば、霊夢を受けた時点で、ソン・テジャク氏をその御方としていただろう。
そんな中、昭和48年、ついに五井野青年はしたためた「一念三千論」を、当時のソン・テジャク会長宛で提出しました。
組織の上層部は、騒然となりました。
戸田氏の言葉を覚えていた会員がまだ大勢いたのです。
五井野青年は、戸田氏が述べていた条件にすべて合致していた上に、その論文の内容はそれまでに読んだことがない素晴らしい内容だったのです。
ついに待ち望んだ御方が、予言どおりに現れた!これで、すべての存在は救われる!ということになったのです。
当時、団体の広報媒体にも「待ち望んだ人が出現した!」と一面トップになったのですが、残念ながらこの媒体の現物は現在確認できないのです。
これが確認できれば、大変重要な証拠となり、洗脳されている一般会員の目を覚ますのに活用できるのですが・・・
(結局、この報道はその後、うやむやになってしまっている。)
戸田氏であれば、進んで会長を辞任し、その地位を五井野青年に譲ったことであろう。
ところが、ソン・テジャク氏は違いました。
この時ソン・テジャク氏の取った対応について、五井野博士から講演会等で直接聞いているのは、次のようなことです。
・ソン・テジャク氏からは、組織全体に発表するのは、2年間待ってくれと言われた
・活動の場として、新たな組織を作り、人や施設や予算などを与えると言われた
・『お手付きの女性』が送り込まれてきたが、断った
これらは、どういうことなのか。
何故、2年間待ってくれというのか?
この「2年」という期間はなんなのか?
2年の意味がよく分かりませんが、つまりは影響が大きすぎるので、とりあえず保留としたということであろうと推測します。
活動の場として新たな組織を作るということだが、つまりは元の組織自体はそのまま存在するということである。
ソン・テジャク氏は相変わらず、組織のトップとしての地位は保障されるということである。
そうなると、五井野青年の立場とは、ソン・テジャク氏に次ぐNo.2の部下ということになります。
これは、戸田氏の想いとは違います。戸田氏の想いを無視した対応です。
『お手付き』とは、ソン・テジャクの子供を宿した女性のことで、男性会員はその女性と結婚することにより彼に忠誠を誓ったこととなり、組織内で出世できるのです。
このような子供は100人を超えるという話がある。
(注.隠蔽されていますが、既にソン・テジャク氏は死去しているらしい。税務当局もこのことを把握しており、相続税の申告の動向に注目しているとのこと。また、この子供たちは組織の後継者争いの火種にもなっているらしい。)
五井野青年は、当然断りました。
目的は組織内の出世ではなく、あくまでも地球人に道を示すことにあったからです。
この『お手付き』の女性を断ったことで、ソン・テジャク氏は五井野青年が自分の部下ではなく、自分の会長の地位を脅かす存在だと認識し、五井野青年に恐れを抱くこととなりました。
そして「一念三千論」の論文については、闇に葬るというよりは、自分が書いたと盗作することにしたのです。
この盗作の事実を知られないために、本当の作者である五井野青年の存在を抹殺する必要があり、弾圧に及ぶこととなったのです。
このため、その団体は本来持っていた存在意義を失い、日本のみならず世界が大きな悪影響を受け、地球の進歩が止まってしまうこととなったのです。
マスコミへの圧力の方法とは、広告掲載や番組のスポンサーになったり、新聞社へは機関紙新聞の印刷委託をしたりなど、金銭的利益提供の見返りとして記事掲載への干渉をしたり、あるいは、支配政党をバックにした政治力などで圧力をかけるというものです。
ソン・テジャク氏が拒否したため、五井野青年は個人で社会運動に身を投じることとなりました。
五井野青年が、空き缶拾いなどの社会運動をしていたころは、まだまだマスコミへの圧力は弱いものでした。
なので、頻繁にマスコミを賑わせていたのです。
しかし、徐々にマスコミからは遠ざけられるようになってしまい、最近では本当にマスコミで取り上げられることはなくなりました。
他にも、「七次元よりの使者」出版時の出版妨害事件や、五井野博士が設立した創栄出版社の乗っ取りや最近ではネットによる事実無根の誹謗中傷など、あらゆる方法で妨害を受け続けています。
この弾圧について、日本国民は他人事のように、無関心ではいられない。
何故なら、この団体は、日本のありとあらゆる分野に信者を送り込み、暗躍しているからです。
官僚、警察、司法、政治、教育、芸能、一般企業、地域の世話役に至るまで、ありとあらゆるところに潜入しています。
そして、憲法の政教分離に違反した政党をも支配しています。
例えば、外務省には「大鳳会」と称する某宗教団体の信者の集まりがります。
五井野博士の活躍により、橋本首相とエリツィン大統領時代に、北方四島が返還されるはずでしたが、それを邪魔したのにも彼らが関与しているのです。
つまりは、日本国が、カルト集団に支配されているということなのです。
(この団体の国際組織は、フランス国会でカルト認定されています。)
この事実を、認識していただきたいのです。