困った。

どうしても意味の分からない言葉がある。

そもそもこれは何と読むんだろう。

読めないことには調べようがないのに。

『天手古舞』?『東奔西走』?

 

なにか参考になる本はないかと書架へと向かう。

でも探し方がわからない。

とりあえず目に付く本を手に取ってみるが、やはり読み方の分からない字は調べようにも見当がつかない。

 

「なにかお困りですか?」

 

不意に囁くように小さな声を掛けられて驚いた。

ここは図書館で私語は禁止の場所だから、まさか声を掛けられるとは思わなかった。

振り向いた先、胸元まで視線を下すと栗色の髪が目に入った。

 

(あの人だ)

 

俺を見上げる目はとても優しそうで、つい弱音を吐きだしてしまった。

 

「あ、わからない言葉があって…調べようと思ったけど読めなくて…」

「どんな字?」

 

差し出された手に甘えてノートを見せる。

覗き込むように近づいた彼女からは石鹸の優しい香りがして、なぜか心臓のあたりがもぞもぞした。

 

彼女の丁寧な説明のおかげで、漢字の読み方も意味も調べることが出来た。

 

「ありがとうございました」

「どういたしまして。また困ったらいつでも聞いてくださいね」

「あ、あのっ」

 

ふわりと微笑んでカウンターへと戻っていく彼女を咄嗟に呼び止めてしまった。

 

「あの…名前」

「プレートに書いてある名前、なんて読むんですか?」

 

紺色のエプロンの胸元を見下ろした彼女が、にっこり微笑んで教えてくれた。

 

「もがみです」

 

 

 

 

夕方4時。

そろそろ彼が来る頃。

なんとなく夕方に彼の姿を目に収めるのが日課になってしまった。

単調な生活の中で起こったちょっとした変化。

それがなんだか楽しい。

 

カウンターからよく見える自動ドアに視線を向けると、ちょうど彼が入ってきた。

まっすぐに定位置に荷物を置くと、相変わらず長い足を窮屈そうにさせながら椅子に座り、ノートを広げる。

暫くすると、書架の方へと向かっていく様子が見えた。

調べものだろうか。

私も自分の仕事を再開した。

 

貸出カウンターの人が途切れ、ふと彼の席を見ると、そこは未だに彼が不在のまま。

書架に行ってから随分と時間が経つけれど。

返却された本をワゴンに乗せて、書架の方へと様子を見に行った。

 

困ったように書架の前に立ち尽くす彼の後ろ姿。

背が高く、筋肉がバランスよくついた上背。

すらりと伸びた規格外に長い手足。

そんな彼なのに、なんだか一回り小さく見えてつい声を掛けてしまった。

 

「なにかお困りですか?」

 

聞けば読めない漢字の意味を調べあぐねていたらしい。

少しのアドバイスでコツをつかんだ彼は、あっという間に言葉を吸収していった。

私自身も気をよくして

 

また読めない字があったら、いつでも聞いてくださいね

 

なんて調子に乗って言ってしまったりして。

そうしたら彼に、ネームプレートに書かれた私の名前を聞かれた。

 

なんだかくすぐったかった。




 




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