なんだかどんどん色々な展開となり、私の頭の中は、もはや「遺跡」「史跡」のような感じです。

 

 私の政治に対する考えは通じない世の中になっているのだなと。

 

 今この原稿は、令和6年1月28日午前に書いています。いくつかの自民党国政関連政治団体の解散が報じられています。

 

 「派閥」なんて言葉を使用しているのはメディア中心であって、確認はしておりませんが、それぞれに「その他の政治団体」か何かで総務省に届け出ている団体だと思います。(チェックしたらそうでした)

 

 メディアで派閥と言っているような団体は、「政党」「政治資金団体」ではありません。

 

 

 なんだかメディアの決めつけミスリードのような気がしてなりません。

 

 (笑)いま、総務省のWebSiteを見ました。(笑)。

 

 きちんと、今回のことに対応するかのように整理されていました。

 

 政治団体名簿(左をクリックしてください。)

 

 その他の政治団体一覧(2913団体) をご覧いただくと、2913もある中に記載されています。

 

 その他の政治団体としての「活動」は認められており、その資金の扱いも法に定められ、事務の取り扱いも決められたものがあり、それに基づき各種届出がなされ、条件を満たした内容の書類であれば受理されます。

 

 それを、国民個々が自身の価値観で「読み込み」「判断」するのは自由ですが、公共の電波などを使用して、「個人」の価値観や考え方で広く国民に「伝える」ことは、フェアでないような気がします。

 

 私は、「偽善」という言葉がニュースを聞くたびに頭の中をぐるぐる回ります。

 

 自由な民主主義の国ではありますが、何か物事を決めるときには政治の世界での法に基づくものもその多くは「多数決」で決まります。

 

 多数を形成するためには、何をするのでしょうか?

 

 いまでいうところの「コミュニケーション能力」です。しかし、それだけではなく色々な要素が加わるのが政治の世界でしょう。

 

 そこでたまたまに浮かんだのが、農耕民族と狩猟民族の違いです。

 

 ちょっと外れますが、親しい中国の友人から、中国でビジネスをするには、「人と人の関係ですよ。」と、いやいや今の時代違うだろ。と言っても、まだまだそういう時代です。と。

 

 「でも、日本企業もそれはわかっていて、コミュニケーションを取る努力しているでしょう。宴会をしたり、仲良くするためのことは。」というと、それは建前の世界。「『個と個』ですよ」と。「ん?」というと、「大事な話、大切な話は『秘密として共有することです。』」と。「ん?」

 

 誰にも知られることなく、個別に個人的に信頼関係を構築する努力をし、その後にがっちり握手をするために話をする。

 

 それは、そうだな。政治の世界では当たり前だな。と思いつつ、それができないのが、今の日本の政治の世界のような気がします。否、そういうことは「悪」というのが、日本の表向きの政治の考え方です。

 

 じゃあ、実際どうでしょう?「建前」と「本音」は正常な大人であれば誰でもあるもの。

 

 それが、「選挙」という、その立場を確立するための「建前」で進めなければいけない活動がある限り、齟齬が生じすぎます。

 

 私はそれに大きく負け込んでしまったのですが、「建前」を言い続けることが「政治家」としてあまりにも不誠実であり有権者に対して失礼ではないかと思うようになり、それができなかったものだと思っております。

 

 外れましたが、その建前が私には「偽善」としか思えないのですが、それはさておき、中国の友人が言ったように、信頼のもとに、確実に自分の考えに同意を得るまでの作業というのは半端ではないほど、大変なものです。

 

 それが国政においては、国全体を動かす立場の「権力」を手に入れる話ですから、大変な話です。

 

 最初から試合放棄をしている「野党」の皆さんとはその緊張感は全く違うのです。さらに言えば、国民に対する「責任」の度合いも雲泥の差です。

 

 もっと言うと命をかけていると言っても過言ではありません。

 

 だとしたら、お互い誰にも知られず、コミュニケーションを取り、相互の信頼関係を構築するには「秘密のお金」は必要だとも思います。

 

 公開する領収証から、想像だけで物事を展開するような人々がいるような世界で、領収証を公開しないで直接会って話をしたり、ときには酒食を共にしながらと言うのはある意味世界共通であり、もっと言えば、日本の企業社会でもよくある話だと思います。

 

 それをコミュニケーション能力の欠如している方々の「常識」や「正義」で片付けれることは私としては理解できません。

 

 長くなりましたから、また。