(笑)前回タイトルがなぜこうなっているのか?を明確に示しておりませんでした(笑)。

 

 戦後政治も含め、長い政治の歴史の中で、「『秘密裡』に動く」ことがいかに大切か?ということです。

 

 先日、先祖の墓参りに行ってきました。実は6歳年下の私にとってたった一人の実の兄弟が亡くなり、納骨が終わったのでその報告に行ってきました。さて、その先祖ですが、私の祖父の出た家のお墓なのですが、その祖父の父以前の方々のお墓となっておりまして、先日墓参りに行くにあたって、手元にある関係資料から私の先祖となる、「藤井右門」は、間違った情報により獄門の刑に処され、その後名誉の回復があり、位階が授与されました。(私の祖父が藤井の出で、そのまた祖父のひいおじいさんか、おじいさんが藤井右門です。)

 

 その時代だと、間違った政治の情報で命まで落としてしまうという時代でした。もちろん今は違いますが、安倍総理が射殺されたのも、間違った情報を、間違った解釈をすることにより「殺人事件」にまで至った例だと思います。

 

 だからこそ、政治に関わった先人たちの知恵としての「情報管理」の方法が確立されてきたのだと思います。

 

 それを、そのような過去の歴史を無視した「正義」を振りかざすメディアには何とも残念な気持ちでいっぱいです。

 

 この一連の報道で見事なまでに「正義」の定義が千差万別で、それを「マス」メディアにさらすことによって共感を得ようとする姿に恐ろしいものを感じます。

 

 私は政治にはブラックボックスはつきもので、20年後以降くらいの情報開示はあっても良いとは思いますが、翌年公開の情報公開、義務化などにはまったくもって反対です。

 

 自由民主党という組織は、いくつかの派に分かれているわけですが、そこで多数を占めることによって強大な権力を得ることになるわけですから、深慮遠謀権謀術数が渦巻くのは当然の帰結であって、万年野党の人たちにはおおよそ理解・認識できない域の話だと思います。