こんにちは、Heleneです


昨日こんな記事を書いた。

ワークショップは楽しくて、良かったんだ。

でもね、そこで色々うわさ話を聞いて
まあ、スピリチュアル業界にいると
他のスピリチュアルリーダーの話はよく耳に入るし
別に昨日に限らず、常に色々聞くんだけど
私も受ける側として色々経験してきた

教える立場になって
施術する側になって

最初の頃の、教えられる側や受ける側の気持ちから
色んな人が気が付かないうちに
大きく離れていってしまうのかなぁ
っていうのを、感じたんだ

私は未だに、自分が知らないこと、できないことを学びたい、習いたいと思っているから
生徒の側の気持ちに少しだけ近いのかもしれない

それで、ため息を付いてしまうことを去年辺りから何度も聞いてきた

私が心を痛めるのは

受講生やクライアントさんが

なぜ、学びたいのか、習いたいのか

という想いをきちんと汲み取れてるのかってことだったりする

トレーナーにせよ、セラピストにせよ
その人がそれをやりたい理由に寄り添って
そこを一緒になんとかしてゆこうと
ともに働く感じというのが理想と思うんだ

それが解決しないなら
来る意味ないじゃん?

なんのためにスピリチュアルをやりたいと思ったのか?

受け手も、与える側も、最初の想いがあるはずで
それはとても大切なものなんだと思う

ところが
スピリチュアル業界あるあるなんだけど

受講生や受け手をメインの視点じゃなくて

自分が中心になってて
自分がいかに効率よく稼げるのか

というのが目的になってる人がちらほらいて

だから、受講生だとか、ヒーリーとかは後回しになってる感じだったりして

集金マシーンとしてしか人を見ないのかな、って考えて
話を聞いていて悲しくなってしまったのがあった

私は受講生の一人ひとりのストーリーがあって
どの人にも、素晴らしい人格があり
愛すべき人たちだと思いながら仕事をしたい
だから、出会う人を愛すべき人たちと思いたい

だから、平気で人を傷つける人間に接すると
もしくは、人を道具として見る人間に接すると
悲しかったり、怒りを感じたりする

10年以上前に、ブルース・モーエン・メソッドのトレーナーになると決めた時があった

その時、メソッドを教えてゆくことに不安はあったんだが
やってみようと思った

色々悩みながら
QHHTのレベル2のセミナーに出るため、アメリカに旅行して
セドナに滞在した

そこで、スピリチュアルを仕事にすることに関して
悩んだし
眼の前に広がる雄大な景色を見ながら、覚悟を決めたのだった

私はこれを仕事にしてゆこう
私はわたしの力の及ぶ範囲で私の力を必要とする人のために役に立とう
そのために、私はこの志を忘れず
全力を尽くすのだと
そして、それに対して、非物質の人たちに全幅の信頼を寄せるので、私がこの道を歩むのにサポートを欲しい
もしも、私が道を踏み外したら、私を殺しても構わない

これが、私の覚悟で
その時から変わってない

多分。
スピリチュアルな仕事をしてる人の中には、そんな私の覚悟を笑う人もいるかも知れない。

だけどさ
私にはアンちゃんがいて
アンちゃんの前で、堕落したスピリチュアルリーダーになるってのは
許されないくらい恥ずかしいことなんだよ

アンちゃんには、「私の良心」と言われてるしさ😅

どこを向いて仕事をするのか
私は物質の世界を見てない

多分、そんなのじゃ、食ってけないと思う人は
金に走るんだろう

だけど、物質を見ないから
私が考えない分を、ガイドが考えてくれてる

そういうことだったりする。

こんなことを書きながら、青い自分を笑ってる自分もいる。
まあいいじゃない、青い自分も。