おはようございます。こんにちは。
こんばんは。おやすみなさい。
何時にご覧になっているのかわからないので
すべての挨拶をしてみました。
ハラキリ・オブ・ジョイトイです。

秋の夜長という表現がありますが、日没が早くなり夕方からは肌寒くなり
夜ともなれば、寒くそろそろ毛布を出そうか、迷う季節になってきました。

若い頃は、春夏秋冬、どれも個性があり好きでしたが、最近は寒いのがめっきり苦手になりまして。
また、意外と思う方もいると思いますが、夜も苦手です。

ですんで冬至が来て、そこから徐々に日照時間が長くなるに従い、自分も活発に動くようになり
夏至が過ぎると、急にナーバスになったりするこの頃です。

そんな前置きから何の話かというと、その人に対する先入観、周りの見方。
ある言い方を使えば、レッテルという括りにつきまして。

敬愛し非常に大好きなミュージシャンに「井上陽水」がいます。
本来は氏やさん付けなどして呼ぶべきなのかも知れませんが、ここは芸名である名前にて呼ばせて頂きます。

何がきっかけで「井上陽水」にはまったのか、思い出してみると小学生時代に
平日の夜、深夜にAMラジオをよく聞いていて、毎週日曜日にロイ・ジェームスが司会をするヒットチャート番組(番組名不詳)で、ある時期に「夢の中へ」が毎週かかっていて
当時、小学生だったわたしとしても、非常に印象的な歌詞で何か引き付けられるものがありました。

音楽活動とは別の事で、世間の注目を浴びたりした時期もあり、
エキセントリックとも思える発言、行動など非常に面白い方だと
そして、すごい声量と素晴らしい歌唱力が、独自の世界観を確率させたのだと思っています。

でね、当時そこそこ早熟だったわたしは、「あぁ、これがフォークソングっていうのか…」
などと認識し、そういう音楽を少しづつ好むようになり、それからの人生に大いにいい影響を与えてくれました。

あの当時のラジオは良かった…



という話ではなく、より「井上陽水」に深くのめり込んだ理由はと。
正直、何かのアルバムとかではなく、気がついたら好きになっていた。

多作であるかどうか、それは個々の判断に任すとし、
どんな時期でもヒット曲を産み出し、他の歌手にも曲を提供し
いつでも自分のスタイルを、時代とうまく合わせている、素晴らしいミュージシャンである。

実際にテレビの特番は欠かさず観て、コンサートにも何度も行っている。
そして何度も号泣している。

エピソードがたくさんある人なのですが、発言がユニークで
それは時として、一年前に言ってた事を全否定する事もあり、みてる側をビックリさせる。
そこも魅力でありまして、更にのめり込んでいく。

今でもたくさんの音楽を聴くように心がけていますが、何かあると
「井上陽水」を聴き、観て、その世界感の中でゆったりとさせてもらう事が多い。


このぐらい有名なミュージシャンであるが、デビューするまでには色々あり
デビュー後も大変な時期があった。これは当時の事なので、今ここで書く事ではないので
必然的に省略します。

まぁね、世の中誰でもいつでも順調なんてありえないので。そんな感じに解釈してください。

さて曲についてもたくさん好きな曲があり、何かオススメは?
と聞かれて、どれもオススメとしか言えない。
ただ、どこかで聞いた事がある、あ、この曲知ってる!というものがたくさんあるので
是非是非にCDとか買ってみてください。
 
久しぶりにこの曲を聴いたなと、思い出深く感じたり、いやこういう曲も演奏するのね。などと思われるかと。

今も精力的にツアーをされていて、何回コンサートに行ったのかは覚えてませんが、その中でも取り分け印象的だったのは、2006年のツアーの中での
DVDにもなったThe Premium Night-昭和女子大学 人見記念講堂ライブとその年の後半に(このあたり記憶が不詳。どうかお許しを)のツアー最終日だった。

両日の最も大きな出来事は、アンコールに応え登場した「井上陽水」がアンコール最後の曲を勝手に変えて、予定外の曲を演奏した事がある。

一応、コンサートなどでは式次第などの決まりがあるのが普通で、これに従い演奏をするものである。
しかし、いとも簡単に違う曲を演奏しコンサートを終わらせた。

後半で行われたツアーでは、運良く前の方の席が手に入り、曲順とは違う曲を演奏しようとする「井上陽水」をバンドのメンバーが、それ違うよ!と注意するも、まぁいいから。みたいな返しで勝手に始めてしまう。

その出来は凄まじいものであった。


特にThe Premium Night-昭和女子大学 人見記念講堂ライブ-
井上陽水の方では、DVDにもなり、そういう様子が確認も出来る箇所がある。
しかし、人見記念講堂の場合、ちょっと違っていた。

関東、東京近辺に在住の方はご存知かもしれないが、このホールは昭和女子大学の敷地内にある、元々は音響に非常に拘った「クラッツシック専門のホール」である。

近年はロック、ポップス、外国人アーティストにも使用され、敷居の高さは下がったもののやはり由緒正しい場所と言える。

ちなみに某年に昭和女子の学祭で、椎名林檎を観る機会もあった。
別件でここの大学の院に進学された、わたしにとって特別な方がいて私的にも思い入れがある場所であり、今もそれは変わらない。

なんなりか歌手生活の中で、一つ区切りにするようなコンサートであったし、
そのように企画されていた。夏の暑い日に、三軒茶屋の駅からギリギリに会場に着いたのを覚えている。

70年代に「フォークシンガー」そのようなレッテルめいたものが、長年「井上陽水」にはつきまとっていた。音楽業界やプレスが作った括りで、視聴者にもそれが擦り込まれていた。

近年の作品はそういう「フォークソング」のようなもの以外に、非常にバラエティの富んだ作品を生み出しているが、何か拭いきれないものがあり、先入観を与えていて
本人もそれを遺憾に思っていたと感じていて、この日のコンサートの会場をあえてこういう場所にしたのだろうと、勝手に思っている。
言うなれば「誉」というものを確かめたかったのではないかと。
印税などそういうもので、収入はあり売れないベーシストとしては、理想的なミュージシャンであるが、長年の軋轢に苦しんでもいたと思う。

ご本人に確認した事がある訳ではないのだけど、この会場でコンサートをする事を非常に大事に思っていたと感じる。

さて、コンサートの内容は非常に素晴らしく、順調に二回目のアンコールとなる。

ここで非常に初期の作品、「氷の世界」収録されている「おやすみ」という曲が演奏される。
フルバンドではなく、ギター、鍵盤、という3ピースで奏でられる、この日のアレンジ。
一度楽屋に戻り、汗をふいて新しいシャツに着替え、まるで作品当時に戻ったような若々しさを感じさせ、同時にあぁ、この曲が聴けるなんて…という感動に、素直に涙した。

ところが演奏が進む中で、どんどん汗をかき、陽水が劣化していく。
正しい表現かどうかはわからないが、曲の最中に始まった時は二十代に戻っていた陽水が、曲が進むにつれ、すごい勢いで今の年齢の戻っていく…

曲が終わる頃には、還暦相応のやや若ぶった汗だくの男になってしまった。


ここで終わる予定だったのか。それとも演出なのかは分からない。
判別出来ないし、詮索もしたくない。

汗だくのヨロヨロの男があるリフを引き始めた。それに驚き、他のメンバーが慌ててステージの上がり、曲が始まった。

「傘がない」

こんなシチュエーションで観たら凄い感動でしょう?

そう思う方もいると思うが、とんでもない。


戦慄である。まるで全てを失ってもいいぐらいの、そのような恐ろしい光景であった。
わたし自身は身動きも出来ず、まるで沈みゆく大きな船をみるような錯覚にも感じた。

たった4分ぐらいの間に、一気に年をとり、その状態からはき出されるような
凄い歌声。感動ではなく戦慄であり、呼吸するのすら大変であり
こんな体験は後にも先にも、この時が初めてだった。

音楽を聴き、たくさんの感動を知り、それは今の人格形成に大いに影響をしている。そして、それは財産だと思っている。

しかし、この時の「傘がない」は本当に凄かった。

帰り道に、初老の男性と歩きながらお話し、その方は小豆島からわざわざいらっしゃったそうだ。
「陽水、最後怒ってるみたいだったし、凄かったな。」

失礼な言い方をすれば、およそ音楽のためだけに東京に来ただけとは思えない、そんな雰囲気の男性であった。
しかし、その方は「このコンサートの為に東京に来た。」と言われ、非常にそれに感動した。


お客の切望に応え、演奏するのが本来のアンコールであろうが、あの時の陽水は本当に凄くまるで、今までの軋轢を全て破壊していくようだった。

戦慄。


その後もコンサートでは「傘がない」は演奏されている。これを目当てに観に行く方も多いと思う。
ところがこの曲を演らない日もある。

それはひとつのカテゴリー、レッテルに縛られたくないという
素晴らしい芸術家の心意気であろうと思う。

このような演奏が出来る日が来るのを、この時からひとつの目標に思い
更に「井上陽水」にのめり込み、そんな事を書いておきたいと思い

ここに残してみたくなりました。

どうか機会があればと。

「傘がない」についてのエピソード少しだけ。

知人から聞いた話でインタビュアーに「この曲のモデル、つまり会いに行かなくちゃいけない女性というのは、どういう関係だったのですか?恋人だった方ですか?それともお友達の女性ですか?」という趣旨の質問に


「何故、女性だと断定出来るのですか?」

と切り返したと言う。

某国営放送の特番で、ご自身のトリビュートアルバムに参加したミュージシャンとお話し、
その中でUAとの会話で、この当時に付き合っていた女性がモデルで、今はその方とは疎遠になってしまったというようなお話を、ちょっとバツが悪く話してる姿も番組で確認が出来ている。

非常にユニークですね。素晴らしいです。


それではこのへんで。



おはようございます。こんにちは。
こんばんは。おやすみなさい。
何時にご覧になっているのかわからないので
すべての挨拶をしてみました。
そしてはじめまして。さようなら。
ハラキリ・オブ・ジョイトイでした。