今日、9月20日は父の誕生日。おとめ座、O型。


今年に入って少しの間、実家で生活をしていたけれど、鴨川に来て

もう10年、すっかり一人暮らしが染み付いてしまった。

なんか、一人の時間を作りたくて、用をつけては、ちょっと出かけたり。

学生時代はなんとも思わなかったのに・・。

気持ちだけ、すっかり独立した大人になってしまったようだ。

そして、親の頭の中では、ずっと学生のままでいるらしい。

外出して、深夜遅くなれば、連絡はくる、連絡しなければ、起きて待っていられたりする・・。

同居してれば、当たり前の連絡なの?

わたしはもう、すっかり30歳も過ぎているのに。

誰か、教えてほしいショック!



そんな過保護な家庭に私は育ちました。

子供のころの父親の記憶ってあまりなくて、仕事に追われていた人だった。

だから、家にいたりすると、変な緊張感がある。

「いるなー」ってやつ。

だから、いて当然じゃなかった・・・。(ごめん)



そんな父との1番の思い出は、ここ鴨川に引越しをしてきたときのこと。

大学4年の春、就職活動をある日からスッパリやめて、アルバイトに精を出し

始めた私に気づいていたのに、何も言わなかった父。

私の暴走ぶりは親譲りなのか、諦めていたのか・・。


卒業して、目的の金額を貯めると両親に、「移住宣言」をした。

もちろん、アパートも決めた後だが。

そして、何より、予想に反して、何の反対も受けなかったこと!!

ただし、2年でプロサーファーになれなかったら帰ってくる、と言う条件付きで。

その日以降、買い物、準備、あらゆる面で両親の協力のもと、あっと言う間に

引越しという運びになった。うちの両親は、きっと、反対と思うことでも、方向を

示すと、私を追い抜かすくらいの勢いがあって、びっくりさせられる(笑)

結局、引越しも両親にすっかり主導権を握られた・・。


当日は私の家財道具一式、父親が借りてきた4トントラックで、全て1日で

運び込まれた。こちらで使う私の車と父の運転する4トントラックとつるんで

鴨川まで走ったけれど、今でも、涙で館山道がかすんでいたのを覚えている。

なんか、すごく不安と、もちろん、期待と、

そして、両親に対する感謝の気持ちと。




新しいアパートでは、荷物を降ろすと、早々に、ダンボールと私を残して、

「しっかりやりなさい。」と言い残して帰っていってしまった。

そして、今生の別れか、というくらいに、ドアが閉まってから、座りこんで

泣いてしまった。

「とうとう、来てしまった!やってしまった!」

いきなり知らないアパートがその日から、自分の家になることすら、不思議な

感覚だった。

そして、しばらく泣くと、突然、ムクっと起き上がって、ダンボールを開けて

片付けを始めたな。



あれから、10年、すっかり鴨川に根付いてしまった。

そして、両親の勢いには、いまだに驚かされ続けている。

冬ハワイから帰ったら、いきなり「鴨川に家を買ったわよ」と言う。

そして、当然、私には何の知らせもない訳で。

それは、本当にジョークかと思った。


両親の行動力には本当に脱帽だ。

そんな父は今日、○○歳の誕生日を迎えすっかりジイサンになってしまったが、

いつまでも、元気で私を驚かす”当て込み”をして欲しい。

そして、いつまでも手のかかる娘がいることが、健康の秘訣だと勝手に

思いこんでいる。


”HAPPY BIRTHDAY!”