初めての"ドナー適合書"のお知らせが来てから、どれくらいが過ぎたか?



私の都合ではなく、病院の枠が取れなかったので何度もスケジュール調整と病院(千葉県内の移植をしている病院)調整を行い、某所で"確認検査"なるものを受けてきました。




コーディネーターの方は"黄色い骨髄バンクの封筒"を持って待ってます、との待ち合わせ。




初めてお会いしたコーディネーターからは、病院の1室を借りて、健康状態や今現在の意思確認(後で断るのも可能)と、大半が移植手術の方法や入院中の過ごし方の説明を受けました。




(この期に及んでも、まさか…ドナーになんか選ばれないだろ⁉︎とまだ思う私がいます)




そののち

担当医師の先生と、看護師さんの病院コーディネーターなる方とバトンタッチされて、そこでは、ほとんどドナー提供のリスクを話されました。




先生は気さくな方で

"お酒はどれくらい飲みますか?"

"毎日、○本くらい…"(小声の私)

"で、昨日も飲んだの?"

"…はい(さらに、小声)"



"いいんだよ!何本飲んでもさ。だって、この紙に質問事項で書いてあるから聞いてんのよ。笑!ただ、それだけ!面接ではない。"先生、爆笑。




時折、歓談。




"盲腸だって何だってね、リスクがないものなんて無いんだよ。未来はもっとわからない。それが医療"

(おそらく、これは医師として伝えなきゃいけないこと)


"ただね、君はドナーだから。全くの赤の他人!それでも関わり合いになること"を考えて欲しい。






考えたり、もちろん調べたり、決断すること、検診に通い入院移植することは、本来ならばしなくてよい苦労や労力。

〜君はボランティア〜



仮にドナー提供となれば

私は、患者さんと相部屋で入院するのか?と不安がよぎる。

※元気なドナーさんも1週間近い入院になると、すっかり滅入って元気をなくす人もいるらしいです。



さらに移植は患者さんにとって命の最後の砦で、移植後も5年生存率は半分くらいみたい。…背負わなくてよい他人の"命"まで敢えて引き受ける負担。






…とりあえず1週間後にまた進捗報告と意思確認で良いそうなので、少し距離を取って、考えてもわからなそうなので、感じてみたい。

私には無関係な現実は、あまりにもシリアスだった。





私が骨髄バンクに登録したのは、サーフィン業界を離れて、某"ほけ○の窓口"にいたときに、血液の癌で加入相談を受けたのがきっかけです。

まだ若い20代の女性でした。



もちろん、保険の引き受けは出来ないのでお帰り頂きました。無力です。何もできない。




血液の癌は若い人ほど多いです。







今、彼女はどうしているのか。

生きているのか定かでもないし、詮索の意味もない。

だけど、私はまだ生きていて。

元気にお酒を沢山飲める体です。




今なら少しは役に立てるかもしれない、と。

そんなふうにも感じたり。




まあ、1週間後におそらく私の生存率は100%に近い(笑)と思うと患者さんの過ごす1週間に比べると、何と贅沢な猶予にも思える。

↑陰からみた陽は、さらに眩しい。





ドナーの選別は、患者や色々な条件下で決まるものだから、どうなるかは私の範疇を超えたところにある。だから、私の1週間後の意思確認はさておき。

自身がどのような時を過ごすか、それこそが最も大事に思えた今日。