今あらためて@佐喜眞美術館 | ピースボートおりづるプロジェクト

ピースボートおりづるプロジェクト

広島・長崎に投下された原子爆弾で生き残った
ヒバクシャの人とともに地球一周の船旅を通して
各国に被爆証言を伝え、繋いでいくプロジェクトです。

みなさんこんにちは。おりづるユースの鈴木慧南です。

 

昨年、「今あらためて、日本全国に被爆者の声を届けたい」という想いから

クラウドファンディングを実施し、みなさまのご協力で成功することができました。

その資金を使って全国各地で証言会が実施されていますが、

今回は沖縄で証言会をすることになりました。

※クラウドファンディングの詳しい内容↓

https://readyfor.jp/projects/pbhibakushaorizuruproject

 

2月9日に沖縄県宜野湾市にある佐喜眞美術館で証言会を行いました。

ここは普天間基地が一部返還された場所で

美術館の屋上から普天間基地を見下ろすことができます。

有名な丸木位里、丸木俊が描いた「沖縄戦の図」が展示されています。

 

 

今回、被爆証言をしに沖縄まで来てくれたのは天野文子さん。

彼女は水先案内人としてピースボートに乗船したこともあり、

世界中で証言活動を精力的に行っています。

彼女は14歳のときに広島で被爆しました。

天野さんは広島に原爆が投下され、広島の町を見渡した時、

はじめて「戦争とは何か」を本当に知ったと言っていました。

 

 

また、沖縄戦を当時10歳で生き抜いた玉木利枝子さんにもお越しいただき、

沖縄戦のお話も聞くことができました。

彼女は艦砲射撃の嵐の中、行く当てもなく、ただ沖縄の南部を

さまよって動いていたと言っていました。

また、ガマや壕は野戦病院となることが多く、住民の多くは追い出されました。

「《地獄のようだった》とよく言われるガマにすら入れなかった。

わたしたちにとってガマは艦砲射撃から免れることができる天国のような場所だった」

という言葉が印象的でした。

 

 

証言会の後に、天野さんと玉木さんがお互いの戦争経験について語り合っていたときに、

 

「ああ、そういうことは広島でもあった」

 

「沖縄でもそういうことがあった」

 

と互いに共感していたのが感慨深かったです。

戦争を経験していない私たちは想像して共感することしかできないですが、

お二人は実体験をそれぞれに共感し合えたのです。

いい友人になれたようで、「頑張りましょう」と声を掛け合っていました。

 

 

過去の歴史はそれを「点」として捉えてしまいがちですが、

沖縄戦も原爆投下も現在に繋がっている歴史です。

未來をよりよいものにするために、希望を託された一人として

これからも未来を作る歴史の担い手の一人になれるように活動を続けていきます。