民の御館様 〜応仁の乱勃発〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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私は北条早雲の子・幻庵です。

(早雲は最初は伊勢新九郎盛時と名乗っています。)


1465年、将軍、足利義政様の正室・日野富子様に男子が誕生しました。幼名を春王様、後の足利義尚様です。


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日野富子です。我が子を次期将軍につけます!


義政は春王様の乳父に伊勢貞親殿を付けました。

コアラ伊勢貞親さんは盛時さんの同族の伊勢氏。幕府の政所執事で義政さんの側近として権力があったんだよね。



この状況で盛時が仕える足利義視様に焦りが出てきました。

義視「私が次期将軍後継者ではないのか…私はどうなるのだ…」



1466年、貞親殿は義視様を排斥しようと義視様が謀反を企んでいると噂を流しました。

これを見た有力守護大名の細川勝元殿が貞親殿の讒言を見抜き、義政様に貞親殿の追放を求め貞親殿は伊勢へ追放されたのです。

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どうも!細川勝元です!




コアラ細川勝元さんは義視さんを支持していたんだよね。ちなみに貞親さんだけでなく、義政さんの他の側近も追放されたんだよ。




乳父がいなくなった春王様を将軍に付けたい富子様は有力守護大名の山名宗全様を味方につけ義視様に対抗しました。

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山名宗全です。勝元には負けません!


この将軍後継者争いに斯波氏や畠山氏の家督争いが絡んでいき、1467年、ついに京で戦が始まったのです。


これが応仁の乱です。

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※画像はお借りしました。



盛時は義視様に従い東軍についていましたが…


盛時「なんてことだ。飢饉で荒れた京で戦をするなど…」




盛時は虚しさを感じていました…。













つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜