私は北条早雲の子・幻庵です。
(早雲は最初は伊勢新九郎盛時と名乗っています。)
1467年、応仁の乱が勃発しました。
足利義視様の近侍である盛時は東軍についていました。
東軍を指揮するのは細川勝元殿、対する西軍は山名宗全殿でした。
山名宗全さんは日野富子さんが産んだ春王ちゃん(後の足利義尚さん)を担いだんだよ。将軍後継者争いに守護大名らの家督争いも絡んで大乱になったんたよ。
「上御霊社の戦い」から始まった乱は始めは西軍が優勢でしたが、東軍は室町御所に本陣を置き巻き返しました。
この頃、関東で「享徳の乱」って呼ばれる戦が1454年から始まっていたんだ。西も東も戦だらけなんだ。
盛時は虚しさでいっぱいでした。
そんな時、盛時を励ましたのが年の離れた妹の桃でした。
盛時の父・盛定は家族を室町御所に避難させていたのです。
桃「兄上!何をそんなに暗い顔をなさっているのですか?いつも元気な兄上なのに。」
盛時「桃、考えてもみよ。この戦は武家同士の欲の戦いだ。民には関係ないのだ。なのに京を荒らし民は住むところを追われてしまう…。」
桃「兄上はいつも民のことを1番に考えてますね。そんな兄上が私は大好きです。」
盛時「ふっ、桃は困ったものだな。」
この桃が後の北川殿なんだ。ちなみに桃って名はこの物語の創作だよ。
室町御所の東軍に参陣した守護大名の中に駿河国の守護大名・今川義忠殿がいました。
今川殿は1,000人の軍勢を引き連れての参陣です。
盛時の父・盛定は将軍申次を務めていたので義忠殿とも親しくお付き合いをしていました。
盛時も義忠殿と親しく話す機会を得ていました。
この頃、東軍も西軍も味方を増やすことに躍起になっていました。
東軍としては今川氏を自軍に引き留めるために策を考えました。それは縁組みです。
東軍の指揮官、細川勝元は盛定と盛時を呼び出し、
勝元「盛定殿、自軍を強化するには今川殿は放すわけにはいかん。そこで…」
白羽の矢が立ったのが盛時の妹・桃でした…。
つづく…
次回をお楽しみに〜