私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。
(早雲は最初は伊勢新九郎盛時(いせしんくろうもりとき)と名乗っています。)
1476年、盛時のところに悲しい報せが入りました。
妹・桃の夫、今川義忠(いまがわよしただ)殿が戦で討死したのです。
東軍として戦っていた義忠殿は遠江国で西軍の斯波義廉(しばよしかど)殿の家臣らと戦いで襲撃を受け討死したのでした。
遠江国って今の静岡県の西の地域なんだ。斯波義廉さんが守護だったんだよ。今川義忠さんは駿河国の守護だね。
盛時は父・盛定(もりさだ)に呼ばれました。
盛定「義忠殿のこと、聞いたか?」
盛時「はい。討死なされたとか…桃が不憫でなりませぬ。」
盛定「事はそれだけではないのだ。後継ぎを巡って争いが起きておる。」
盛時「あっ!義忠殿と桃の子、龍王丸(たつおうまる)はまだ3歳の幼少。争う相手とは?」
盛定「義忠殿の従兄弟、小鹿範満(おしかみつのり)じゃ。今川家は2つに分かれて争いを始めておる。」
盛時「桃は無事なのですか?」
盛定「桃は龍王丸と一緒に家臣の館に逃れておる。」
盛時の妹・桃さんは北川殿(きたがわどの)って呼ばれてるけど、この物語では桃で通しますね。
盛定「そこで…そなたに駿河国に行ってもらいたいのじゃ。そして龍王丸を後継ぎにつけるのじゃ。これは幕府の命でもある。」
盛時「私が⁈ 」
盛定「小鹿範満は関東側の後押しもあるようなのだ。」
盛時「関東側とは…上杉氏(うえすぎし)ですか?」
盛定「そうじゃ。駿河国の今川氏が関東側に付かれたらやっかいないのだ。それに桃は我が子、そなたの妹。龍王丸は我が孫じゃ。」
盛時「父上、わかりました。早速行ってまいります。」
盛時は急ぎ準備をし駿河国へ向かいました。
この頃、関東は複雑な様相を呈していました。
1455年に鎌倉公方・足利成氏(あしかがしげうじ)様と関東管領・上杉氏が対立し「享徳の乱」と呼ばれる戦が始まり、1476年になっても戦は続いていました。
足利成氏さんは鎌倉から古河に本拠地を移し古河公方って呼ばれるようになったんだよ。古河は今の茨城県古河市だよ。
成氏様と上杉氏の対立に幕府も介入し上杉氏に味方をしました。1458年にはその当時の将軍・義政(よしまさ)様が新たに鎌倉に公方を送りました。
それが義政様の弟・足利政知(あしかがまさとも)様です。
しかし政知様は関東の武家に受け入れられず伊豆の堀越に入り、堀越公方と呼ばれました。
関東には2人の公方がいることになるね。古河公方の成氏さんと堀越公方の政知さん。
まあ、関東は成氏さん対上杉氏、政知さんって感じだね。でも上杉氏と政知さんの仲もうまくいってないね。
駿河国は昔より関東に攻める重要な拠点であり、幕府としては押さえておきたい国だったのです。
そんな駿河国に盛時は入りました…。
つづく…
次回をお楽しみに〜