私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。
(早雲は最初は伊勢新九郎盛時(いせしんくろうもりとき)と名乗っています。)
盛時は今川館での会談を終え、帰ろうとすると太田道灌(おおたどうかん)殿に呼び止められました。
家宰って家長を補佐し、一家を管理、家事を取り仕切る職だよ。
道灌「盛時殿、先ほどの会談、見事でした。」
盛時「いえ、さほどのことではありませぬ。」
道灌「小鹿範満(おしかのりみつ)殿の支持派を見事抑えましたな。」
盛時「そう言うそなたも小鹿支持派では?」
道灌「最初はそうでしたが、駿河国に入り、小鹿殿やその支持派を見て、どちらでもよくなりました。皆、己の欲しかない人ばかりですからな。」
盛時「それでわしの意見に賛同したと?」
道灌「盛時殿には己の欲を感じられなかった。今川家…いや妹殿を守るために動いていると感じました。」
盛時「ふっ、おわかりでしたか…。」
道灌「私は平和に事を治めたかった。関東で長引いている戦に加え、この駿河国でも戦乱を起こしたくありませぬ。これ以上、戦が拡がると民は疲弊します。これでは国は立ち行きませぬ。」
盛時「民のためにと?」
道灌「盛時殿も同じではありませぬか?欲ばかりの戦を平和に治めたいとの思いは私も同じです。私は駿河国を引き上げ関東の騒ぎを早く鎮めなければなりませぬ。」
盛時「もう関東へ帰られるので?」
道灌「主家の山内上杉家(やまのうちうえすぎけ)での騒ぎが起きてますので。」
この時、起きていた山内上杉家の騒ぎって「長尾景春(ながおかげはる)の乱」なんだよ。長尾景春って山内上杉家の家宰だった人なんだ。
道灌「いずれ…またお会いしたいですな。」
盛時「わしもです…では!」
道灌殿に別れを告げ盛時は今川館を出ました。
盛時は道灌殿に同じものを感じていました。
「道灌が民を大切にする意思、自分と同じである」
しかし、この後、盛時は道灌殿に再会することはできませんでした。
道灌殿は1486年に暗殺され亡くなってしまったのです。
その報せを聞いた時、盛時は怒りに震えていたそうです。
後に聞いたところによると、自らの同志を亡くしたことで怒り悲しんだのでした…。
つづく…
次回をお楽しみに〜