私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。
(早雲は最初は伊勢新九郎盛時(いせしんくろうもりとき)と名乗っています。)
ようやく盛時は室町幕府第9代将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)様に仕え、申次役に任命されました。
この頃、義尚様は幕府政所執事の伊勢貞宗(いせさだむね)殿の館を住まいとしていました。
伊勢貞宗さんは義尚さんの養育係で、盛時さんの親戚なんだ。
室町御所は応仁の乱で焼失、その義尚様は母・富子(とみこ)様と父であり前将軍の義政(よしまさ)様のいる小川御所に移りました。
義政様は富子様を嫌い、慈照寺に移ってしまいました。
富子様は過度に義尚様に干渉し、それを嫌った義尚様は富子様を避け、伊勢貞宗殿の館に移ってきたのです。
盛時は足利将軍家を見て、
「家族も大事にできないのに世を治められるのか?これでは民が苦しむだけだ。」
と途方に暮れていました。
将軍のいる伊勢貞宗邸に出仕する日々の盛時でしたが、同じ出仕する中で小笠原政清(おがさわらまさきよ)殿と親しくなりました。
小笠原氏にもいろんな系統があるけど、政清さんは京都小笠原氏の系統。他には信濃小笠原氏もあるね。京都小笠原氏は室町幕府の初期から将軍家に仕えていたんだよ。
ある日、盛時は政清殿の館に呼ばれ酒を馳走になっていました。
盛時「政清殿、今日も意味もなく将軍様に仕えて…終わっていく。この繰り返しで民のために、世のためになっているのであろうか?」
政清「盛時殿は相変わらず悩んでおられますな〜。」
盛時「悩みもします。京の復旧はまだまだ。わしは将軍様に仕えるより民と一緒に家を建てたり田畑を耕したい。」
政清「盛時殿はいつも民のことを考えておられる。」
そこへ1人の女性が入ってきました。
「父上、お魚を持って参りました。」
政清「盛時殿、紹介致す。我が娘の陽子(ようこ)じゃ。」
陽子「初めてお目にかかります。小笠原政清の娘、陽子です。」
盛時「……おっ、わしは伊勢新九郎盛時です。」
政清「ははっ、どうされた?盛時殿。」
盛時は陽子殿に一目惚れをしたのです。
それからというもの盛時は何かにつけ政清殿の館に顔を出すようになったのです。
そして盛時は政清殿に告げました。
盛時「政清殿!陽子殿を我が妻に迎えたい!お頼み申す!」
政清「…やはりか。」
盛時「やはりとは?」
政清「初めて娘に会わした時から、こうなると思っておった。わしは盛時殿に我が娘をもらってほしかったのじゃ。」
盛時「では最初からそのおつもりだったと…」
政清「うむ。民を大切に思う盛時殿なら娘を大切にしてくれる。盛時殿!陽子を頼みまする。」
盛時「はい!」
こうして盛時は50を超えて、はじめて嫁を迎えたのでした…。
つづく…
次回をお楽しみに〜