私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。
(早雲は伊勢早雲(いせそううん)と名乗っています。)
明応地震の後、小田原城へ忍び込んだ早雲が見たものは酒宴を開いてる武士たちでした。
早雲「城下の民が苦しんでいるのに、酒宴とは…。」
早雲は怒りに満ちた思いが湧き出ていました。
酒宴には小田原城の城主・大森藤頼(おおもりふじより)殿もいました。
大森氏の家臣「殿、城が修復し、よかったですなぁ。」
藤頼「うむ。亡き父が大事にしていた城だからの。」
大森氏の家臣「これでいつでも扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)様に戦で呼ばれても出陣できますな。」
大森藤頼さんのお父さんは大森氏頼(おおもりうじより)さんで前年の1494年9月に亡くなったんだ。藤頼さんは家督を継いだばかりなんだね。
大森氏は扇谷上杉家の家臣となり繁栄していました。また同じ相模国の三浦氏(みうらし)も同じく扇谷上杉家の家臣だったのです。
早雲は思いました。こんな城主では民は疲弊するばかりだと。
早雲と小太郎(こたろう)は小田原城を後にし伊豆へ戻りました。
早雲「小田原城はわしが治める!」
小太郎「確かに藤頼では民が苦しむばかりだけど、戦を仕掛けますか?」
早雲「いや、大掛かりな戦は地震被害からの復旧中の今は無理だ。まずは小田原城下の民を我らの味方につける。」
小太郎「どうやって…?」
早雲「ふふっ、小太郎、配下の忍びを集めておくのだ。」
早雲はその日より藤頼殿に贈り物と手紙を送るようになりました。
手紙には「地震で小田原城の修復も大変であろうから民の救済は我らが行いましょう。」とありました。
これを読んだ藤頼は、
藤頼「伊豆の早雲を信じてよいものか?」
大森氏の家臣「早雲殿は同じ扇谷上杉家の配下。それに民を救済してくれるのであれば、我らの手間も省けるもの。任せてよいでしょう。」
藤頼「うむ。とりあえず任せよう。」
早雲は忍びの者を使い、小田原城下の民の看護にあたりました。
忍びの者たちは小田原城下の民には伊豆国から救済にきたことを告げることを忘れませんでした。
小田原城下の民は、
「わざわざ隣りの国より看護にきてくれるとは、ありがたい」
「小田原城の殿様は何もしてくれんのに隣りの伊豆の殿様がしてくれるとは。」
こうして小田原城下の民の心を早雲はつかんでいったのです。
早雲は藤頼殿に贈り物を事あるごとに送り続けていました。
藤頼「早雲は良い人だ。我が城下の民を救済し、こうして贈り物をくれるとは。」
大森氏の家臣「誠にございますな。」
藤頼殿は早雲の真意を知らず、早雲を信じていたのです。
そして、いよいよ早雲は藤頼殿に最後の手紙を送りました…。
つづく…
次回もお楽しみに〜