私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。
(早雲は伊勢早雲(いせそううん)と名乗っています。)
1512年、早雲は相模国の三浦道寸(みうらどうすん)殿の居城・岡崎城を奇襲で陥落させ、道寸殿は弟の道香(どうか)が守る住吉城に退きました。
住吉城は早雲さんが築き、道寸さんに攻めらて奪われていたんだ。
道寸「早雲がいきなり攻めてくるとは、油断しておった。道香、城の守りを頼むぞ!」
道香「任せてください!」
この頃、早雲の軍勢は住吉城に迫っていました。
早雲は住吉城攻めとは別にもう1つの動きも行おうとしていました。
早雲「住吉城はわしが築き城、侵入経路もわかる。それより三浦は扇谷上杉朝良(おうぎがやつうえすぎともよし)に援軍を求めるだろう。それに備えねばならん。」
氏綱(うじつな)「朝良は山内上杉家(やまのうちうえすぎけ)と古河公方の足利氏(あしかがし)、それぞれの争いの仲裁で忙しいのでは?」
早雲「朝良自ら来れずとも援軍は出せるだろう。三浦討伐の邪魔が入らぬようにせねばならん。氏綱、城を築くぞ!場所は鎌倉の玉縄だ!」
早雲は鎌倉に近い場所に玉縄城(たまなわじょう)を築きました。
この時、早雲はこの戦が長期戦になると予測していたのでしょう。
玉縄城には次男の氏時(うじとき)を入れ、扇谷上杉家に備えたのです。
そして早雲は住吉城を陥落させたのです。
道寸殿は住吉城を脱出し新井城へ退却しました。
道寸「おのれ!早雲め!朝良様の援軍はまだか⁉︎ 」
道寸さんは早雲の予測どおり、朝良さんに援軍を依頼していたんだ。
その後、早雲は深追いはせず、じっくり攻めることにしたのです。
早雲は鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に戦勝祈願をしようと鎌倉に入りました。
鶴岡八幡宮は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)さんゆかりの神社で武士の守護神だったんだね。
鎌倉の地に入った早雲は鎌倉の姿に唖然としました。
早雲「これがかつては武士の都だった鎌倉…。」
つづく…
次回をお楽しみに〜