伊丹のおくりびと

伊丹のおくりびと

伊丹市の幸せ創造企業 速水葬祭二代目創業者 速水英城です。
色んな所で様々な人々に支えられご縁を頂き毎日を過ごしています。
感謝を込めて綴ります。

 

 

 

ご先祖様の話

 

 

 

 

 

父に聞いていたのは

 

何代か前のご先祖様に

 

豊臣秀吉、秀頼に

 

近習組頭として使えた武将

 

速水守久がいたというのは聞いていた

 

 

 

 

守久が亡くなった大坂夏の陣から3年後

 

守久の三男保久と四男の貞久が

 

越後国村上藩主の堀さんところに引き取られ

 

元服後、藤右衛門、理右衛門と名乗り...

 

 

 

 

時代は進んで

 

 

 

祖父の浩じいちゃんが

 

守久から十三代目に当たるって。

 

 

 

 

そう、

 

ここまでは父の話に聞いていた

 

 

 

父が他界したのち

 

 

 

コロナ禍で強いられた巣篭もり生活で

 

さらにその歴史を紐解こうと調べてみると

 

 

 

守久が近江の出身だという

 

新史実に出会う

 

 

 

 
 
 
更に調べ進めると
 
長浜市には「湖北町速水」という地名があり
 
 
 
 
そしてそこには
 
速水城跡もあるという事実
 
 
(引用元:城郭放浪記
 
 
 
そして昨日
 
 
 
何かのメディアで見た
 
「速水柳平」の名前
 
 
 
明治の実業家で
 
随分と社会に貢献された人だと
 
その人物は知っていたけど
 
ふと気になってwikiってみると
 
守久の子孫だと書いてある?!!!
 
 
 
 
 
柳平さんもご先祖さんだったとは!!!
 
 
 
あれ?
 
そういえば
 
我が家の過去帳にも
 
柳平さんの名前がある。。。
 
 

 

 

 

そしてさらに思い出した
 
家系図。
 
 
 
大阪城で自刃されたと言い伝えられてる
 
豊臣秀頼は実は薩摩に逃げ延びており(説)
 
秀頼の首塚に眠るのは守久ではないか?

 

と歴史を研究されている

 

もう一系統の子孫、

 

門林さんが作ってくれた家系図だ。

 

 

 

 

image

 

 

そこにも確かに

 

柳平さんの名前がある

 

 

image

 

 

この家系図によると

 

柳平さんは

 

僕のお祖父ちゃん(浩)のお祖父ちゃん。

 

いわゆる高祖父に当たるのかな?

 

 

 

しかも柳平さん

 

清和源氏の末裔だと書いてある。。。

 

 

 

ということは

 

我が家って

 

多田神社(川西市)とも

 

ご縁があったんですね♪

 

 

 

 

歴史大好きだった母と

 

ご先祖さん大好きだった父

 

どちらからも聞かされてない話

 

 

 

父も母も知らなかったのかな?

 

 

 

Wikipediaって凄いな。。。

 

 

 

引用元:Wikipedia