国鉄マユ35形 | 夜汽車の汽笛への憧情

国鉄マユ35形

いつもご覧いただきありがとうございます。

前回からだいぶ開いてしまいましたが、今回は我が家の客車としては久々の新形式であるマユ35形について書いてみます。

マユ35形は昭和23年にマユ34形として登場した郵便客車です。
ここでマユ34形について軽く触れておくと、マユ34形は昭和13年登場の郵便客車で、戦前形標準である丸屋根で折妻構造のスハ32系の一党でした。4両が製造された後増備を停止していましたが、戦後間もない昭和23年に増備を再開します。15両が製造されてマユ34 5~19となりますが、この時に同時期に製造されていたオハ35形同様、車端部の屋根の丸みがなくなり、キノコ形の妻面を持つ半切妻構造となり、台車もペンシルベニア形ながらコロ軸受をもつTR34に変わり、同じマユ34形ながらも形が異なる車両となりました。この事から、趣味的分類上、このグループはオハ35系に属しています。
車内は前寄り(写真左側)から郵袋室、郵便区分室、休憩室・トイレ、郵便区分室、郵袋室、デッキとなっており、車掌室はありませんでした。休憩室前後の区分室は役割が異なっており、前寄りは大型の郵便物、後ろ寄りは一般の郵便物を扱っていたようです。
登場後間もない昭和24年には、運用上の都合から後ろ寄りデッキ直前に車掌室が取り付けられます。この時に形式がマユ35形に改形式され、ナンバーもマユ35 1~15となりました。なお、車掌室が取り付けられた背景には、郵便車という車種の性格上、列車の最後尾に連結されることも多々あるわけですが、当時国を支配していた駐留軍により、最後尾に連結する客車には車掌室を付けるよう指導があったとされています。

改めてマユ35形を見ていきましょう。
やはり目を引くのはズラッと並んだ天窓でしょう。いかにも郵便車らしい特徴と言えますね。
上でも書いたとおり区分室の中央に休憩スペースがあり、区分室が前後に分かれているのは戦前形郵便車の特徴です。棚部分にも窓があるのも特徴的です。どうやら当時の区分棚はシースルーになっていた様で、棚部分の窓にも採光の意味はあったようです。

ちなみに、戦後形は概ねこんな感じです。
休憩スペースは区分室の端にあるのがわかります。棚部分は天窓のみになってます。

マユ35形で特徴的なのがもう一つ。車体に投函口が付いてる所です。
区分室付き郵便車は郵便局員が乗り込み業務を行っており、実際に「鉄道郵便局」として開局していました。なので、ポストがあってもおかしくないと言えるのかもしれません。これは戦後まもなく進駐軍の指導により取り付けられたもので、戦前形からスユ42形までに見られたものでした。
ですが、やはり進行方向のある列車郵便局なのでポスト投函された郵便物は運用に難があったようで、オユ10形から廃止され、投函口のあった車両の中にも埋められたものもありましたが、マユ35形は最後まで残していたようです。
なお、この投函口は改造により取り付けられているため、同じマユ35形でも車両によって取り付け箇所はまちまちで、この場所についているのはモデルとなった2002号車の特徴である様です。

上にも書いたとおり、キノコ状の妻面を持つのもマユ35形の特徴です。同時期に製造されたオハ35系の客車と共通している特徴です。
なお、オハ35系の普通客車と同じ「35形」となったのは偶然の一致です。余談ながら、オハ35系の郵便車には他にオユ36形(後に電気暖房を取り付けスユ37形)が存在します。
また、戦前製のマユ34 1~4にも車掌室が取り付けられましたが、このグループは改形式されずにマユ34形のままでした。理由としては、経緯は不明ですがマユ34形が一般的な区分室式の郵便車と同じく郵政省所有の車両であったのに対し、マユ35形は珍しく国鉄所有の車両であったからとされています。

さて、上で書いたとおり、昭和24年にマユ35形となったこのグループは、マユ35 1~15と改番されます。細かな運用については資料があまりなく普通列車に連結されるのがメインだったと思われます。数少ない優等運用としては東京から筑豊本線経由で熊本を結ぶ急行「阿蘇」がありました。昭和30年代中盤には大阪~富山を結ぶ急行「つるぎ」にも使用されます。
「つるぎ」は北陸本線をメインに走る列車ですが、北陸本線は早くから交流電化が行われたため電気機関車を使用しており、機関車に電気暖房用の電源を搭載したため、「つるぎ」を初めとする北陸本線運用の車両には電気暖房装置が搭載されました。模型のモデルとなった2002号車もそのうちの一両です。
昭和37頃には郵便区分室が蛍光灯化され、引き続き「つるぎ」(一時期「金星」に名称変更)「阿蘇」を初めとして普通列車メインで活躍しましたが、軽量客車の郵便車オユ10形の大量増備により、昭和46年までに置き換えられて消滅しました。なお、上述のとおり国鉄所有客車であったため郵便車としては珍しく転用が行われ、9両が救援車のスエ31形に改造されました。
登場から24年。決して長命とは言えないマユ35形ですが、我が家では初の旧型郵便車として、「つるぎ」をメインに、旧型郵便車を使った色んな夜行急行の郵便車として活躍させようと思っております。