『Anywhere』セルフライナーノーツ 全編 | HIGH BONE MUSCLEのヘルブログ

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都内某所【ヘルハウス】を拠点としながら関東関西中部中国四方八方東西南北ライブハウスがあればどこでも駆けつけては仲間を増やしていく、攻撃力200守備力300、温もり75%お祭り25%のRPG系バンド。

『Anywhere』セルフライナーノーツ

HIGH BONE MUSCLEの公式Instagramに1週間に渡り投稿された4th mini album『Anywhere』のセルフライナーノーツ。

その全編をここに記します。
ほんのり編集しつつ。

ちょっと長い旅になりますが、どうか文字の海を、アルバムお供にゆったり泳いでみて下さいな。

では。
行ってらっしゃい。





3人体制以降、ソロ活動や楽曲提供、サポート活動など各個人のアイデンティティを確立しながら活動してきた我々が結成10年目を迎え3年半ぶりにリリースするミニアルバム。
『Anywhere』
先ずはその導入について少し。

2019年の年末頃にリリースの話をしていた。
我々3人は専ら移動中の車内でそういった話をする傾向にあるので、恐らく11月の仙台だか、12月の埼玉だったか。
その辺り、多分行きの道すがらだったかと思う。

2021年に10歳の誕生日を迎えるバンド。
ならば2020年はその助走の1年としてリリースや、これまで関わってきた仲間との繋がりをより強固にしながら、2021年を迎える準備をしようじゃないかと。
そういう話を僕がして、二人もなんとなく頷いていたような気がする。

その第1弾として今回の6曲をレコーディングし、リリースをしようと。
そういう話をしていた。

当初はミニアルバムという形態ではなく、2曲入りのシングルを3度に分けてリリースする予定だった。
それは都度イベントや、ツアーなどを打つ仕掛けとして企てられた作戦であった。

それぞれのジャケットをどうしよう。
紐付けて何をやろうか。
リリース日は。またそのイベントは。
誰を呼ぼう。どこでやろう。

そういうことを話し合いながら年を越した。
計り知れぬ希望が燦然と輝き、希望だけが多分、そこに転がっていた。

2020年に入ってドラムとベースをレコーディングした。
『あなたの知らない未来まで』でお世話になった素晴らしいスタジオで音を収め、さぁこれからギターや歌のレコーディングに入るかどうか、というところで、第1回目の緊急事態宣言へ突入するのである。

そこからはもう、なんというか。
水泡に帰すとは正にこの時のためにあったような言葉で。
あっという間だった、全てが。
決定していたライブは尽く中止を余儀なくされ、レコーディングもあっさり頓挫。

その時点で、あぁ、2020年、終わった、と。
随分途方に暮れたのを憶えている。

ーーそこからの2020年については、どこかに書いたかな。
サンストの素晴らしいシステムに救われ、僕らにとって身近であった「配信」というシステムをライブハウスから発信することに注力した。
毎月のライブには発見もあったし、反省もあった。
そしてその道の先に、一旦のゴールとして設定したのが2020年12月26日のワンマンライブ。
【Habitable Zone】で。
楽しかったな。またやりたい。もっとやりたい。

そんなこんなで年末さえサンストで終えた僕たちは、1年経ってそこからまた2021年の作戦を立て始める。
その第1弾がこれ。
漸くだな。
『Anywhere』というミニアルバムである。

どこへでも。
どこからでも。
そういう意味を込めてこのタイトルとした。

いけるし。やれるし。ならせるし。
届けられると知った2020年。
でもやっぱり目の前でやりてーよってなった2020年。
全部がこの言葉に詰まっている。

ジャケットは夕景の空とした。
この時期だからこそ、外、大きい空を写したかった。
また、リリース予定から随分経った、僕たちにとってはある意味"懐かしい"曲たちが並ぶので、そういう雰囲気を纏った1枚を乙羽氏に発注した。
信頼と実績のおとちゃん。イメージにバッチリハマった。

2021年3月14日のライブでも、確かMCで話した気がするけれど。
バンドの未来を歌ったはずの曲が、今このコロナ禍という未曾有の事態に陥った僕らの世界に少なくない部分で符合し、響いていく可能性があると感じている。

謀った訳じゃない。
歌って気付いたこと。
アルバムにして分かったこと。

そう思っているのは現時点で僕とメンバーと、あとはここまでこれを読んでくれているあなたくらいなのかもしれない。

だけどそれにこそ大いなる意味がある。
ここから始めるための1枚なんだから。



1. 花鳥風月

ーーー自然の美しい風景。転じて、自然の風物・景色を題材にして詩歌を作ったり、絵を描いたりすること。風流なこと。風雅な遊びのこと。
※学研 四字熟語辞典より引用

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まともに高校すら行かなかった僕が友達の高校の文化祭でギターを弾き狂った(確かその高校の卒業アルバムにちゃっかり載ってる)日に出会ったひとつ上の先輩の手引きで、10代から20代前半の頃、とある大学のJAZZ研究会に通っていた。

オールマンブラザーズを始めカントリーやサザンロックを一通りなぞった後に、その頃はマイク・スターンやラリー・カールトンなど所謂フュージョンという音楽を学んでいた僕には物凄く有り難かった話で、狭い部室に楽器がワンサカ詰め込まれている部室で夜な夜なツーファイブワンでどんなフレーズ入れてやろうかみたいなことばかりを考えていたような気がする。

『花鳥風月』のイントロ、サビに於いてはその頃の発想がふんだんに使われている。

そもそもの話をすればⅡm7からスタートするテンションマシマシセカンダリードミナントでロックというアイデアは『ヘルハウス』で実践済みで、きゃりーぱみゅぱみゅの『CANDY CANDY』という楽曲から着想を得た進行だった。え!この曲この感じでサビがマイナーコードで始まってんのマジ?みたいな驚きがあったのを憶えている。

メジャーコードでドーン!じゃなくて、いききらない雰囲気がこの楽曲の持つ透明感みたいなのを保ってくれている。

あとはもう単純にギターを聴いてほしい。
多分一番弾き狂っていた時代に書いたんじゃないだろうかというフレーズが随所にあって、この曲の最たるはバンドインしてからのイントロと、あとはエンディング。
よーく聴いてほしいんだけれど、これ、センターのリードと一緒に左右でもコードソロをプレイしている。
此処まで来ちゃったかーという感じである。レコーディングでちょっとキレそうになった過去の自分に。

詞は、そうですね。

ロケットに乗って飛んでいった 人類の希望よりも
スウェットでパッと過ぎてった しょうもない日を
美しいと思えた 自分が確かにいたことを
いつまでも忘れないでいたいな

こういう唄です。
僕は忘れないで生きようって思います。



2. Catch-22

ーーーどうもがいても解決策が見つからないジレンマ[板挟み状態]、逃れようのない[どうしようもない・にっちもさっちもいかない]ジレンマ[状況・状態]、不条理な規則に縛られて身動きができない状態、矛盾した状況、金縛り状態、絶体絶命、お手上げ
※英辞郎 on the WEBより引用

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2019年、秋から冬くらいに書いた曲。
3人体制になってから書いた曲だ。マジ。これがか。
デモのタイトルに激ギターとある。尤もだ。

イントロフレーズは完全なる手癖。
ハーフのビートで重たいリズムに8分で絶え間なく鳴るショートディレイのオクターブってのはアイデアとして前からあったとは思う。
この曲に関しては強烈なトレモロの後に鳴るリフ部分に拘った記憶がある。
ゴリゴリの低音弦リフにリディアン的なアプローチ、#11でフレーズに緊張感というか、ある種の高揚感が生まれている。

あとは最後のサビのウネリまくるベースライン。
これ本当、何度聴いてもかっこいい。
みんなが好きなやつだって僕は知ってますよ。

今思えば、3人になって物足りないとか、4人のが良かったなとか、そう感じられてしまう事が嫌で怖かったのは、バンドがまだ4人だったその時だけだったような気がする。

3人になってしまってからは意外と早くて、こういう曲もサクッと書けたりして。
ギター俺だけだし目立っちゃうぜ的な。

取り戻すというより新しい形を模索しながら形作ったという点においては、このコロナ禍で生き抜こうとする音楽の世界に通じるものがあって、だからなんとなくこの頃生まれた曲たちが入ったアルバムが今、ハマってるって感じられるのかもしれない。

Catch-22という小説があり映画にもなっているんだけれど、当時はこのフレーズがスラングにもなって上記の意味合いで使われていたらしい。

僕多分狂ってますってお前自覚があるってことは狂ってないなやり直し!!
相当狂ってる世界。

というわけで思想の主張というよりは不条理やら矛盾に不平やら不満をぶっかけた唄になってます。
絶体絶命。
ロックンロール。



3.ノモスの丘

ーーーノモスは古代ギリシアにおいて用いられた社会概念で、法律、礼法、習慣、掟、伝統文化といった規範を指した。
※Wikipediaより引用

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時計のブランドでも、古代エジプトの地方行政区画名でもありません。

文字を読むことが好きで、そういう印象的なフレーズに目敏いんだと思う。
意識的に探していて、そこからインスピレーションでフレーズや物語を紡ぐ。
そういうのが好き。得意でもある。
これは今も変わっていないし、この曲を書いた2013年当時もそうだったんだろう。

そう、この曲、今アルバムの収録曲で一番古い曲となる。

制作当時、ライブハウスにも邦楽ロックシーンにも、所謂ハイテンポ四つ打ち系が跋扈していた。
対バン対バンみんな同じ曲。BPMは170〜180くらいでドッチードッチー。
流行りも流行り。其処彼処で裏拍のハット。
あの当時、ロックバンドのリズムは本当に単調だった。

そこを意識的に避けて曲作りをしていた当時に、この曲。
キレてた。
高速BPMに四つ打ち。印象的なリフ。
そんなに全員やるなら俺らも全乗っかり作ったろやないかいという想いでこの曲を書き始めた。

そんな風に半ば反動みたいな衝動で書かれたこの曲の中でも、中盤に印象的なセクションがある。
最早この曲のメインはこのセクションだと言ったって大袈裟じゃない。
そのくらい僕はこの間奏、気に入っております。

当時251でやった企画にも呼ばせてもらうくらい大好きなRhycol.というバンド。
その『ノア』という曲の間奏にビビッときて、このアンサンブルが生まれました。

良かったら聴いてみて。

Rhycol.『ノア

めちゃくちゃカッコいいですよね。
今聴いても全然色褪せてない。

ノモスのリフ&タップとリズムの絡みはココから生まれております。
是非是非どっちも聴いてみて。
んでRhycol.も掘ってみて。
かっちょいいので。

当時はやっぱり所謂4人のギターロック、ギターのアンサンブルで聴かせる、魅せるっていうところに拘っていたので、ノモスにもその魂みたいなのが色濃く反映されている。
そもそもこのアルバム自体にTHE ギターロック然とした趣があるが、中でもこの曲はよりその雰囲気を纏っている。

当時のデモ演奏そのままを再録したので、音の選び方が荒い部分とかも含めて一段とロック色が強い。
昔のHIGH BONE MUSCLEっぽいというか。

2019年〜2020年のライブでこの曲をセトリに入れ、大人になった僕たちが今これを演奏する事で得られた感触が良かったので、このアルバムに入ることになりました。
今聴きながら書いてるけど、龍二のドラムが大人になってるなー。
あと凄くルーツが出てる。
イントロAメロなんか裏打ちじゃなくなって伊地知 潔節がスゴイ。
良い。

そんなわけでこの選曲チョイス、昔から好きでいてくれる人にはサプライズだったかと思う。
僕らも結構びっくりしています。
でもハマってます。



4. 月下美人

ーーー月下美人の花には強い香りがあり、花を見なくても、漂い始める香りで咲き始めたことがわかるほど。(中略)月下美人は夕方から咲き始め、朝にはしぼんでしまいます。
※みんなの趣味の園芸より引用

@@@

ね。もう唄が書けそうでしょう。
とっても綺麗で、色んな言い伝えがあったり、面白い花なんです。
良かったら調べてみて下さいね。

これももう、書いたのは2年ほど前か。
2019年の初夏。

僕、夏が季節で一番好きなんです。

遊べるでしょ。先ず。夏休みですよ。
海で燥ぐのも走り回るのも合宿も市民プールも夏ですよ。
クーラーガンガンの部屋でアイス食べながらゲームしまくったじゃないですか。
アレですよ。

アレなんですけど。

僕は一番切ない季節だとも思ってるんです。

何にも特別なことなんてなかったじゃないですか。
きっとその時にはそうだったんです。

良く冷えたラムネの味も、入道雲も、麦わら帽子も白いワンピースも、バス停、蝉しぐれ、プールサイド、空き地、夕焼け、塩素の匂い、髪が乾き切っていない長髪のクラスメイト、ラジオ体操、向日葵、朝顔、風鈴、浴衣、秘密基地、祭囃子。

少し距離を置いて歩く君の背中越しに見た赤く焼けかかった空と、半分だけ浮かんだ月に漏れた溜息を置いてきたのも夏だったよなぁ…なんて。

…夏、好きですね。僕。

ちょっと外れましたけど、そう、夏の夜、自転車漕いで君に会いに行くまでの唄です。
そこにいるのか。いたのか。
どっちでも良いんです。
会いに行くまでの唄。それだけです。

もうちょっと暖かくなったら、人気のない夜の散歩のお供なんかにしてほしいなって思います。
夏の少し生温くて、色んな匂いを含んだ空気を目一杯吸い込んで歩く夜の道。

今年もまた、夏がきますね。



5. どこへでも

ここ何年か、ライブで演らない日はないってくらい演り倒してる曲が、ようやく音源化されます。
お待たせしました。

アルバムタイトルは英語表記ですが、この曲のことです。
どこへでも。

2018年5月1日。
今はもうなくなってしまった赤坂CLUB TENJIKUで、4人体制最後のワンマンライブを開催した。
ライブのタイトルは「Anywhere」
今日この日まで繋がっている。

その日を最後に3人になったバンドの最初の1曲。
『Catch-22』の時にも書いたけれど、存外、筆は早かったような記憶がある。

3人になるにあたって自分のルーツを振り返ると共に、"3人とは"という根本と向き合った。
そこでやってみたいと最初に、直感的に思ったのはクリームやらベック・ボガート & アピスみたいな60〜70年代の3ピースバンドが鳴らす"ヒリヒリ"とした空気を持つ音楽だった。
そこにちゃんと空間のある音。
弦の揺れとかシンバルの共鳴とか。
ジリジリと3人が、淡々と音を重ね、またぶつけ合うような音楽。
4人だから出来なかったというより、そういう発想に至らなかったような音楽をやってみたいと、そう強く思った。

印象的なリフをってそういう思考になっていったのも3人になってから。
そう考えると自分の音楽家としての幅は図らずも広がったのだなと思う。

最初はなかながグルーヴしなかったことも憶えている。
自分も含め池田も龍二も戸惑いが音の運びに感じ取れた。

余白を奏でるということ。
隙間をどう聴かせるか。
空気をどう共有するのか。

減った分を足していく作業ではなく、そこをどう活かしていくのかという工夫。
友達3人じゃなくて、"ミュージシャン"としての距離がグッと縮まった。

今はバッチリ。3人の音になってる。

バンドの、ってよりはもう、自分の決意を記した唄です。
この言葉が今を生きるあなたに届き、伝わりますように。
そして願わくはあなたにとっての唄となりますように。



6. この夜に捧ぐ

2018年の夏終わり頃に書いた曲。
3人にも少しずつ慣れ始めた頃だと思う。

制作時の思考は『青春』という楽曲を書いた時と近いモノがあると記憶している。
速くてキャッチーでパンキッシュ。考えさせる間もなく感じてほしいという意図が汲み取れる楽曲構成。

ただ少し違うのは、やっぱり"3人で"という頭になっているので、アレンジが極端にシンプルになっているということ。
録音はツインギターで編曲されているが、あくまで3人のライブを想定している。

そう、この頃は特に3人でのライブを想定しながら1曲1曲と向き合っていたと記憶している。
妄執に取り憑かれていたと言えるかもしれない。3ピースバンドという編成自体に。

この頃に量産した曲の中でもその傾向が顕著に見て取れる。

「3ピースバンド初心者」がこういうのっしょ、という思考で曲を書き、3人がこういう感じだよな!という根拠の薄いそれそれ論でアレンジまで詰めてしまった正に"勢い"の曲である、と言える。

それがバンドとしてどうだったかとか音楽的だったのだろうかとかは正直どうでもよくて、やっぱりパッと聴いて自分はこういうの好きだなぁと感じられるので、あの初期衝動的感覚に従った3匹の嗅覚とか本能は間違ってなかったのだなと、今改めてこの曲を聴いて思っている。

野性味というやつ。
ワイルドな曲に仕上がってます。

サウンドについてもMarshall JCM 800そのまま鳴らしました!というようなオールドな作りで、支えるというより我先にと言わんばかりの頭打ちビートを良い塩梅のベースがギリギリ繋いでるような感覚。

3人って感じがする。
キャラクターが出てる。

録音もワイルドで、ガッツリ龍二の叫び声が入ってたり池田が笑ってたりする。
どうか最後まで聴いてみて下さいね。

録音時のそういう雰囲気も含めてアリ!ってなった曲はこれが初めてかな。
爆笑しながらレコーディングしたんですよね。

楽しかったな。
聴いても思い出してもそう思えたから、アルバムの最後に据えたんだと思います。
最後に笑っていてほしい。何度だって反芻してほしい。

そういうバンドでいたいなって唄ですね。





…お帰りなさい。
如何でした?

ちょっと長いけど、こうしてアルバムのことや、曲のことについて話す、というか記すことってこれまで余りなかったものですから。

曲を楽しんでもらう上でのスパイス的な役割を担えるのであれば、こうして伝えるのも悪くないのかなって、今は思えています。

少し大人になりました。

これを読んでくれたあなたの、日常の。
生活のBGMに、僕らの曲がなれたなら。
それが一番だなって思いますからね。

どうか、かわいがってやってくださいね。

HIGH BONE MUSCLE
鈴木啓