2度命を頂いた叔父 | 聖の道を歩みながら

聖の道を歩みながら

日神会の会員です。
これまで30年近い信仰の歩みを書いていきます。
時系列ではなく思い出した都度書こうと思っています。

母方の叔父が倒れ、医師に「もう長くはないから、知らせるべき人には知らせなさい」と言われたと叔母から連絡があったとき、母は弟と一緒に病院へ見舞に行きました。車で2時間ほどかかるところです。

私も一緒に行くと言うと、母は「そんなに大勢が一時にやってくると、死を覚悟するからダメ」と言うのです。幼いころからよく行き来していたので、私も行きたかったのです。ですが、母に止められ、自分としても何かせずにはいられなくて、弟と母が見舞に行く日に、私は日神会長崎道場へ行き、聖礼拝堂で叔父にお命を下さるよう一心に祈りました。

見舞から帰ってきた母の話では、やはりもうダメだろうということでした。もっても年内いっぱい(その時は12月の初旬)との話です。そうか、やはりダメなのか…。当時、まだ他者治療について自信がありませんでしたから、聖礼拝堂で直接お力(エネルギー)を頂こうと思ったのですが…。

一週間後の私のお休みの時に、今度は私と母とで見舞に行きました。

「おお、来たかん」

叔父はベッドに腰かけ、食事をしていて、ニコニコと私たちを迎えました。母と私は本当に驚きました。そして叔父は年明け早々に退院しました。


その2年ほど後にまた倒れて入院しました。今度こそダメだと叔父のそばに住んでいた伯母が言ってきました。さっそく母と私で見舞に行くと、叔父はガーガーと大きないびきを立てて寝ています。声をかけても目を開けません。足はやせ細ってしまっていました。

伯母と母はその様子を見て「今度こそ無理だろう。最後に、この子の好きだった万頭を買ってきて一口でも食べさせてやろう」と言って、二人で町まで買いに行きました。その間、私はやせ細った叔父の足の浄霊を丹念に行いました。もちろん全身浄霊も行いました。一時間か二時間ほどだったと思います。

ただ、病室ですから大げさな振る舞いはできませんので、心の中で全身浄霊を行い、足はさすりながら丹念に、丹念に浄霊をしたのです。前回、聖の親様のお力(エネルギー)をいただいたのだから、今回も是非にもと想い、必死で浄霊を行いました。ただ、その時点で特に変化はありませんでした。

翌日は仕事があるので、私は帰らなければならなかったのですが、母はこれがきっと最後になるからと、一晩病院に泊まることにしました。それまでは夜中に大声を出したりして看護婦さんは大変だったらしいのですが、その晩はスヤスヤと寝息を立てて、大人しく寝ていたということです。

「お姉さんがいるから安心したのかしら」と言われたそうですが、叔父はその間一度も目を開けてはいません。私の母がいることに気づいていたとは思えません。

翌日、母は帰ってきました。

数日後、一緒に見舞に行った伯母から連絡があり、私の母が帰った後で目をさまし、今では病院内を歩行器を使って散歩しているというのです。もちろんその後退院しました。

2度にわたって聖の親様のお力(エネルギー)を頂戴した叔父でしたが、その数年後に他界しました。まだ60代でした。叔父はつまみも取らずに大酒を飲む人でしたから、体の負担が大きかったのだと思います。病名は特に聞いていないので分かりません。

「よく食べ、よく動き、よく眠る。そして、お水をしっかりと飲む」
健康管理は自分で行うというのが日神会の教えです。
心と肉体の管理は自分しかできません。己が魂を霊界入りするまでにしっかり成長させるためにも、寿命を縮めるような真似はしないように心がけなくてはなりません。
日神会で浄霊を受ける際に必ず質問される項目ではあります。


日神会(日本神霊学研究会)の公式サイトは
http://www.nisshinkai.net/です。