事故後の不思議なこと | 聖の道を歩みながら

聖の道を歩みながら

日神会の会員です。
これまで30年近い信仰の歩みを書いていきます。
時系列ではなく思い出した都度書こうと思っています。

事故直後、119番に電話を掛ける人の声を聞きながら、私は必死に自己浄霊を行っていました。事故の瞬間に強制浄霊を行うことはできませんでしたが、一心に自己浄霊を行いました。救急車がやってくるまでの数分間ずっと…。

自己浄霊を繰り返しているうちに、ハッと気づきました。相手の方がもしこの事故で亡くなるようなことになっては、取り返しがつきません。先方には先方の事情があってなんらかの修正が必要で遭遇した事故であったとしても、私の心の誤りが引き寄せた事故だと自分では思っていましたから、それによって相手に選ばれてしまった方の命が失われるようなことだけは避けたかったのです。ですから、相手の方の命を救っていただくための浄霊も合わせて行っていました。

病院に担ぎ込まれ、全身くまなく調べられ、病室へと運び込まれました。全身打撲で身動きがままなりません。救急隊員の方が連絡して下さったので、弟が母と息子を連れて病院に駆けつけてくれました。免許証に入れてあった聖の親様のお札を、私の胸の上に置いてもらいました。

皆が帰った後、私にできることは自己治療(浄霊)しかありません。重さのあるものが持てなかったからテレビやラジオもつけることができず、携帯さえもさわることができませんでした。

事故の瞬間、むち打ちにならないように首と頭を守らねばと、ハンドルに対し突っ張り棒代わりに両腕を伸ばし、頭をヘッドレストに強く押し付けていたため、腕の付け根のあたりが両腕ともひどく傷んで、仰向けに寝たままで右腕を左腕の付け根に移動させることもできない状態でした。

それでもその部分の痛みを少しでもやわらげたくてお札を右手で持ち、左の腕のつけ辺りに持っていくとそれまで届かなかった位置にお札ごと届くのです。お札を持たずに同じことをしても決して届かないというのに。ともかく、その時に一番痛む箇所を一日中浄霊していました。

2日間は寝たきりで、起き上がることもできませんでしたから、トイレに行くこともできず、紙おむつをつけていました。せめてオマルで用が足せるようになりたくて、一日中浄霊していたのです。

80歳を超えた母が自宅からバスを乗り継いで1時間かけ毎日見舞に来てくれました。親不孝にも高齢な母が毎日遠くまでやってくるのが心配で早く帰るようにきつく言ってしまっていました。

入院中に警察からの聞き取り調査があり、事故の状況を聞かれました。その時だったか、退院後に警察署に出向いた時だったか定かではありませんが、担当者が首をかしげていたのが、事故後の車の位置でした。

通常正面衝突した場合は、両方の車の前の部分がつぶれた状態で止まっているか、ハの字型に止まっているはずなのに、相手の方の車が私の車に対してお尻を向けた状態で止まっていたそうです。

「正面衝突だよなあ。前は潰れてたけど、後ろはなんともなっていなかったもんなあ…でも、不思議だなあ」

瞬間的な強制浄霊はできなかっけれど、やはり聖の親様のご加護があり、私の命を奪うほどのダメージにはならないようにしていただけたのだと今でも思っています。ちなみに相手の方は1か月間意識不明の重体でした。一度も連絡や接触はなかったのでその後どうなっているかは存じません。


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