自分とは何か | Kenaz光(ひかる)の占いブログ

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毎週 日曜日はスピリチュアルなメッセージを転載しています。









自分とは何か



信仰さえあれば知識はどうでもよいのではないかと思っている人も多いようですが、次のシルバーバーチの言葉をよく噛みしめてください。



知識は常に必要で、常に求め続けるべきものです。もうこれで十分だと思って求めることをやめる人は、自分の無能を宣言し、堕落し、錆びついていくことを求めているようなものです。魂は向上するか堕落するかのどちらかであり、同じ位置に留まっていることはできません。人間は永遠に休むことのない旅人なのです。



地上界にもたらされる恩恵は、発明も発見もことごとく霊界にその根源があります。あなた方の精神は、地上界へ新たな恩恵が届けられるための受信装置のようなものです。



新しい真理というものはありません。それを受け入れる用意ができているか否かに よって、そのレベルが決まります。皆さんも子供の時は能力に似合ったものを教えられます。アルファベットから教わって、知能の成長にしたがって単語を覚え、文章が読めるようになります。 その単語に含まれている意味も、一度にわかるわけではありません。少しずつ分かっていきます。どれだけ理解できるかは、当人の理解力によります。精神的に、そして霊的に受け入れる用意ができただけのものを手にすることができるのです。



自ら思い立って真理探究を志し、行為と想念でもって意思表示をすれば、その人物がそれまでに到達したレベルに相応した知識と教えを授かるように法則が働いて、その波動と調和し始めます。そのレベルには限界というものはありません。なぜなら人間みずからが無限の霊性を宿しており、真理も無限に存在するからです。



学ぶ前に、それまでの知識を洗い直さないといけません。正しい思考を妨げてきた 夾雑物をすべて捨て去らないといけません。それができて初めて霊的成長の準備が整ったことになり、より高い真理を授かる用意ができたことになります。



真理探究の道はこつこつと絶え間なく続きます。魂が進化し、それに精神が反応し て広がれば広がるほど、境界線はますます広がっていきます。知識、真理、叡智、成長に限界がないことに気づいた時、あなたは真の意味で自由になるのです。心の奥で間違いであることに気づき、理性が反発するものを即座に捨て去ることができるようになった時、あなたは自由になるのです。第三者の指導によってそういう状態に導くというのも一つの方法ですが、まだ真理に目覚めていない人に、それがどういうものであるかを説明する時は注意が必要です。それで良しという満足感を抱かせる結果になりかねません。



要するにスピリチュアリズムの根本理念は、地上人類を物質的に豊かにすることではなく、霊的に豊かにすることです。いったい自分とは何なのか、宇宙とは何なのか、そして全てを創造した大霊とは何なのかについての理解に必要な摂理と実在についての知識をもたらすことです。それが理解できない人はいるでしょう。そんなものは必要ないと考える人もいるでしょう。子供と同じで、まだオモチャが手放せない人もいますから、そういう人には そういう人なりの教え方が必要です。



スピリチュアリズムは、長いあいだ地上界を取り巻いてきた暗闇、今の時代になっ て次第に分かってきた悪逆非道の原因を根絶することが目的なのです。そうした邪悪の根源には霊的摂理への無知があります。唯物主義とそれが生み出す私利私欲の悪弊を吹き飛ばしさえすれば、地上界を最大の呪いから救うことができるということを、もうおわかりいただけると思います。



皆さんが偶然の産物でないこと、気まぐれの遊び道具ではないこと、無限のエネル ギーを秘めた無限なる霊すなわち神の一部であることは、既にご存じの通りです。この真理が世界的規模で受け入れられれば、またこの物質界の彼方にも別の世界が存在すること、地上界で送る自分の生活には自分が責任を取らされ、それが次の世界に反映されること、そこには完全な公正をもって働く永遠不変の摂理が存在すること――こうしたことを単なる知識としてではなく実感をもって認識できるようになれば、人生の新しい基盤ができたことになります。



私たちがこうして地上界へ戻ってきた理由はそこにあります。すなわち、たった一 人の人物、たった一冊の書物、たった一つの教会、物質界であろうと霊界であろう と、たった一個の存在に忠誠を尽くすのはおやめなさい――ひたすらに大霊の摂理にのみ忠誠を尽くしなさい、と説くためです。誤ることのないのは大霊の摂理だけだからです。



進化のいかなる段階においても、暗闇の中を歩むより光の中を歩む方が良いに決 まっています。無知でいるより知識を身につけている方が良いに決まっています。ですから、知識の探究は人生の基本的な目的であらねばなりません。それを怠ると、迷信と偏見と不寛容と頑迷さがのさばるようになり、それを抑えきれなくなります。しかし、知識には責任が伴います。これも埋め合わせの原理の一環です。かつて所有していなかったものを手にした時、天秤のもう一方には、その知識をいかなることに用いるかという責任が生じます。知らなかったが故に犯す罪にもそれなりの代償は免れませんが、知っていながら犯す罪にはより重い代償を支払わなければなりません。