毎週日曜日はスピリチュアルなメッセージを転載しています。
あるがまま
naked
それ以上でもない・・・
それ以下でもない・・・
そのまま、このまま、「あるがまま」。
少し考えれば、誰でもわかることですが、私たちは本来、「あるがまま」以外の状態ではいられないのです。
私たちは「あるがまま」でいることしかできないのです。
名前は便利なものですが、名前がついた途端、「あるがまま」からは離れていきます。
「私」に「山田太郎」と言う名前がついた途端、「私」は「山田太郎」以外の全ての可能性を否定されることになります。
ですが、「私」は本当に「山田太郎」というだけの存在なのでしょうか?
もちろん「山田太郎」という名前があってもよいでしょう。
しかし、それは便利だから・・・という理由に過ぎません。
「本当の私」は「山田太郎」という「身体についた名前」だけの存在ではありえないのです。
私たちの本質は全てつながっており、全てがひとつなのです。
それがたまたま「山田太郎」というカタチをとっているに過ぎないのです。
ですから、「本当の私」は、「誰でもない」のです。
「誰でもない私」が「ここに在る」のです。
それが、「あるがまま」です。
あなたと私は確かにカタチとしての違いはありますが、
それが個性であり、「あるがまま」の私とあなたには、どこにも差などありません。
今日は、「あるがまま」の自分を見つめてみましょう。
「私」という名前をはずして、自分のことを見つめてみるのです。
「あなたは一体だれですか?」と鏡に映った自分に問いかけてみましょう。
そこには名前のない「あるがまま」のあなたが、ただ「在る」はずです。
名前のないあなたには無限の可能性があります。
何かになる必要もなければ、どこかに行く必要もありません。
「そのまま・このまま・あるがまま」の自分をしっかりと感じてみるのです。
その時、自らを抱きしめ、ひとつ涙を流すのも良いかもしれません。
はづき虹映
「こころの扉」より転載