四捨五入したら60歳になるなぁ~・・・
ときどき私の老後はどうなるんやろ・・・って
考えてもしかたないので加齢・・・いや華麗にスルーしてる
はまだようこです
先日、私の留守のあいだに我が家におまわりさんが巡回にこられました
いつもは誰か来てもスルーするじさまですが、
玄関で植木の水やりしていてしかたなく応対したみたいです
おまわりさんに我が家の家族構成をたずねられたじさま。
「完璧に答えておまわりさんに感動されたんや」と
帰宅するなり私はその武勇伝??を聴かされました
完璧に息子や嫁、孫の生年月日をスラスラ答え、
たぶん・・・聞いてもいない曾孫のことを大きな声量のある声で
話されたら、おまわりさん的には褒めんと場がもたなかったことでしょう(爆)
まず・・・
91歳という年齢にビックリされたと
きょうび90歳越えなどめずらしくないんですが・・・
じさまにとってはすごいことでビックリされるとすごく喜びます(爆)
息子のしゅういちさんはともかく、嫁や孫の生年月日をスラスラ言えるってちょっとすごいことやとおもいます😀
なぜにそんなにじさまのアタマがクリアかというと
長年かかさずつけている日記のおかげではないかと私はおもってます
私がお嫁にきた31年前からずっとおんなじ日記帳
その前から日記つけてるので少なくとも31冊以上ある(笑)
じさまの日記のつけかたがなにげにスゴイ
広告の紙の白いところやミスプリしたコピー用紙を利用したメモ帳に
日記の下書きをする。この内容がムダに緻密(爆)
起床時間
夜中のトイレの回数
朝・昼・晩のゴハンのメニュー
家族みんなの出勤時間・帰宅時間
その日の出来事
などなど・・・
肺ガンで入院してたときも、大腿骨骨折で入院していたときも
術後三日ほどで日記の下書きするからノート持ってきてくれとリクエストがはいりました
さすがに病院に広告の紙の白いとこやミスプリのコピー用紙ってのはね(爆)
はい・・・入院中にしっかり下書きしたものを
退院後1か月くらいかけて入院中の出来事の日記を仕上げてました。
自分ところの家族っていうことをさっぴいても
90歳超えてのじさまのバイタリティーはスゴイとおもいます。
毎日自分で決めた習慣にしていることを一日も欠かさずにするっていうことは
なかなかできないことです。
少なくとも私はムリ
なにがここまでじさまを動かしているんだろう・・・と考えたとき
やはり、離れて暮らしてるばさまの存在が大きい気がします。
いつも『生きてくれてるだけでいいねん』っていう言葉を口にします。
コロナでかれこれ1年くらい会えてません。
90歳過ぎての1年会えないのはみていても辛いです。
でもでも・・・
この世に存在してるだけで生きる気力になっている姿を目の当たりにして
縁あって夫婦になった絆の強さもみせてもらってます。
以前カウンセリングの学校で一緒に学んでいたヘルパーさんしている人が
『どうして他人に世話になってまで年寄りは生きてるんかわからん』と
言った人がいました。
そのときは自愛とは程遠い学びをしていたせいもあって
その言葉に違和感があっても返す言葉が見つかりませんでした。
でも今は答えられないことないです
何もできないから・・・
話ができないから・・・
仕事してないから・・・
世話かけることしかできないから・・・
年齢重なるといままでできていたことができなくなることが
たくさんあります。
できなくなったら生きてたらあかんのん
ヘルパーさんのお仕事がたいへんだってことも
在宅で介護してる人がたいへんだってことも
認知症の高齢者相手にするのがどんだけイラッとするとかも
ぜんぶよーーーくわかってる上であえていうけど・・・
いただいてるもんもあるんやで
どんなにしんどいときやツライときでもそれだけってことぜったいないから
すごくミクロでみつけるの至難の業やけど
ぜったいに一瞬でも光がさしたり笑えることがあるねん。
ミクロの喜びをみつける
なんにもできない、話もできない、世話かかるばっかりのうちのばさまやけど、私たち家族はじめじさまの心の支えになってるという
お金なんぼ積んでもできないことやってるからね
ばさまナイス
あっ・・これは我が家の歴史がつくった結果。
今、ツライ大変なおもいしてる方には理解してもらうのすごくたいへんなことやとおもいますし、無理に理解しようとしなくても大丈夫です
それぞれのカタチでそれぞれの最高最善ベストなときにフッとお世話していたことをあったかい気持ちで思い出せる日が必ずきますから
とにもかくにもがんばりすぎず、
ご高齢者のおもしろ行動みつけながら
日々の介護なりお付き合いなりしてくださいね
ミクロでも楽しいことおもしろいことにフォーカスするとなんかしらんけど生きる気力が湧き出てきますから