梅雨の晴れ間が気持ちいいですね
なにげに用事がはかどってる気分になってる
はまだようこです
じさまが肺ガン宣告され86歳で手術をうけてから
5年が経過してめでたく寛解
当時は年齢が年齢でガンでも強烈な肺ガン・・・
平常心を保ちつつも別れの時はそう遠くない・・・と
私だけでなく家族みんながおもってたこと・・(誰も口にださなかったけどね)
だいたい2週間で退院予定といわれていたのが
肺の中の傷の治りが芳しくなくツライ治療もありました・・・
このときはドクターからお呼び出しがあり
どんなお話しかわからないのに
ドクターに会いにいくまでの私は良くないことばかりアタマの中を
かけめぐって心の中はグチャグチャやったな
もう気持ちのベースが肺ガン=死でしたから・・・
かなりツライ治療ですがさせてください・・・と言われ
『はい!』と即答したじさま。
一度で効かなければもう一度チャレンジ・・・という話でも
『はい!』と即答したじさま。
その甲斐あって一度の治療でなんなくクリア
抗がん剤とかではなく、わざと炎症をおこして傷口にかさぶたつくって
傷をふさぐ・・・というもんで
薬をいれて10分上向いたまま・・・また薬をいれて今度は横向きに10分
またまた薬いれてうつ伏せで10分・・・ラスト薬いれて反対側の横向きで10分
身体を一回転させて薬をまんべんなく回して炎症がおきるのを待つ・・・という治療
で。発熱しなかったら再度チャレンジだと・・・←これって荒療治ってやつ
さすがにつらかったようで5年たった今でもそのときのことを話してます(笑)
おかげさまで一度で効果がでてホッとしました
退院してから当初は
じさまの大好物を準備すれども食欲がなくたくさんお残しあったり
日中は横になることが皆無だったのにすぐにお昼寝体制になったり・・
なによりも口では元気アピールするけど身体がついていってなかった
今はその逆で口では「あかん…おじいちゃんもう91歳やし動かれへん😑」っていうんですが
しっかり食べるし買い物いきたがるし身体はじゅうぶんついていってる😆(笑)
まあ当時は、大手術のあとなので当たり前といえばそうなんだけど
そういうの抜きにしてもなんやかんやと様子がちがって
ひそかに心臓バクバクさせてましたね
でも月に一度の検診にはまじめに通い、
その都度『いまんとこ大丈夫』という
お言葉をいただき安心して今まで過ごしてました。
変な言い方ですが、寛解までいけたのは結核菌がチラッとでてきてくれたおかげてないかと
私はおもってます。
ほんとにチラッっとだけやったんで😆💦
じさまのお兄さんが24歳の若さで肺結核で天に召されています。
その闘病は話に聞くだけでも壮絶でじさまもおばあさん(じさまのお母さん)も
たいへんなおもいをして最期を看取られました。
その経験から結核なったらとにかく栄養とらなあかん!!と
食欲のスイッチがはいって、それまではにぎり寿司3貫食べるのがやっと・・・
おそうめんもタマゴなど具はうけつけずそうめんオンリー・・それもちょっとだけ・・
私がなにが堪えたかというと、じさまの食事がまったくすすまなかったこと。
一家の胃袋を牛耳ってる私にとってはかなりつらかったです
腕時計がグルグルまわるし、身長172センチ・・・
体重が60キロ切ったときは
ほんま・・・これから先どないなるんやろ・・・と心配しました。
でもでも気まぐれ結核菌のおかげで食欲でてきて
肉魚とリクエストがはいって胸をなでおろしました(笑)
それから今日まで食欲は衰えることなく、おいしいおいしいと機嫌よく
自力で栄養とれるくらい食べてくれてます
この出来事から食べることは生きること・・・
生きるパワーなんだと痛いほど感じました
とにもかくにも次の肺ガン検診は1年後
来年のいまごろはコロナ騒動も落ち着き
マスクなしで検診にいけること願って
地味に見守りながら過ごしていきますわ