よーく考えて欲しい。


たとえば貴方に神が、「オマエに何でも1つ願い事を叶えてやろう」と言ったとする。


すると貴方は何か願いを言うだろう。


すると神は言う。


オマエの「何かに執着する心」が完全になくなったときには


願いをかなえてやろう。





願いはいつ叶うでしょうか。









当時、ある女性と付き合っているときに


そのとき流行っていた、毛のフサフサしたなんだかロシアチックな


帽子をプレゼントしたことがあったんだけど


そのとき彼女は、箱から出した帽子をかぶって僕に微笑んで『似合う?』と聞いてきた。


帽子をもらったのは彼女のほうで、喜んでいるのは彼女のほうで。


しかし、彼女は帽子をかぶっているのを、鏡を見ない限りは確認できない。


その姿を見て楽しんでいるのは、実は、彼女ではなく僕なのである。




さらに言えば、何かを人に与えて喜んでいる姿を見れるのは貰ったほうでなく


あげたほうの人間なのだ。


ということで、僕はこのときプレゼントをあげたことを二重に楽しめていた。








最近すごく親しくなった人と色々と話をしているうちに


今後その人から勉強させてもらえることになった。


正直、めちゃめちゃ嬉しい。


しかし、この人は僕に何か見返りが欲しくって


そんなことをしているわけではないことは


火を見るより明らか。


その人には何のメリットも無いからだ。


もしあるとすれば、それは


僕が、何かしらの目に見える結果を出して


どう?帽子似合う??


と聞けたときだと思う。


そのときに初めて、


その人は少しばかりの得をするのだと思う。




願いは叶った。


そんな気がしてならない午前三時。