3月の公演が終わってからも、何かとバタバタしておりましたが、
この新月にかけて断食護摩修行に参加しておりました。
断食護摩修行

行ってみると、かなり寒くてビックリびっくり
でもその寒さと新月に近いとあって星の瞬きまで見える夜空。
断食とあって寒さも身に凍み、そこへ焚き火の有り難さ。
いろんなものに感謝が自然とわいてくる環境に身をおくこと、おけることの大切さを無理なく自然に感じていました。


遅れて参加した私以外は皆さん断食断水。
私も1日のみ断水を経験しましたが、息の通る管が呼吸で分かるのと、心臓の音がまるで太鼓のようにドクンドクンと自分の身に打つ感じがして、そこにじっと身をよせながら、たべものを食べなくなってからの、自らの精力、生力を実感してました。



トイレももちろんコンポスト

日頃からの生活にわりとシンプルさを感じながらも、こうして場所を変えるとまだまだシンプルになれるところがあって、それを知って、それで自分が何を選択するか、どう選択するか、、、それって大事だな~と。
日頃私たちは「変えられない」と思ってしまうぐらい日常のいろんなことに時間をとられてしまって、何で休息しているか、どこで休息できているかの意識なく時間を過ごしてしまいがち。

でも、こうして少しシンプルな時間を感じられるところに身をおくこと、
それは身体にとっても心にとってもほんとうに大事なことだと気づきます。



ティピの中で護摩修行が1日三回行われるのだけれど、自分の身体からたべものや水分が抜けていく中で、その一回一回の修行に感じることも変わっていくのがおもしろかった。

なんだかわからない内の自分は、そこに身を委ねるタイプなので、一番シンプルで。そのあとは、やっぱり何かをしよう、感じようとした感じ、、、
そこで起きたのは、日常の中に埋もれてた「あんなこと、こんなこと」から、こうしてれば良かったとか、ちゃんと伝わったかなとか、過ぎ去った記憶の中の相手の顔や言動、、、
ほ~、そんなことを気にしてたんや(笑)と、眺めながらなもんで、集中出来なかったり(笑)

でもその都度感じるのは、自分が集中出来ずに、声が出ずに、お経がしどろもどろになっていても、変わらず修行は進んでいくこと。
他の人の声、山ちゃんの所作、一つ一つは私とは関係なく進んでいく。

それにまた安心して、いつの間にか火に戻る。。。

最近、火を見ることが続いていたんだけれど、その都度私は火に風の姿を見ていた。
けれど、この度の護摩修行で焚かれる火に「火・日・パワー」の姿を見ました。

これはスピリチュアルなことではなくて、その真逆の、

本当にシンプルな姿

これに、自分の中の心が響いてドクドクと太鼓を鳴らす。

三日目の最後の護摩行では、あんなに消耗していた身体に新しいエネルギーが入ってきたようで、どんどん元気になっていった。



いつも元気な私がもっと元気にぃ⁉
と、恐がらないで(笑)

違う違う( ̄▽ ̄;)💦

元の氣、という意味。
たべもの、飲みものの力も感じ、
そして自分自身の力も感じ。
どちらもないと成り立たないことに気づいた。

その後帰宅し、ワークを二件こなした自分のパワー、そして夜までを繋いでくれた水のパワーに感動!(笑)

そして夜からの「梅湯」と「生キャベツの味噌付け」の効果でデトックス適面!
ちなみに私の場合で梅湯は、どんぶり鉢7.5杯でしたチュー

さ、ここからは!
新年度に向けて、計画していきます!
またいろんなところで、楽しみながら生きていきましょ🐝💓