人間のタイプと教えることについて | ひろせカウンセリング若手ブログ

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吃音自助グループ廣瀬カウンセリング東京教室の、若手メンバーによるブログです。

前回は、内向性と外向性ということを書きました。

 

書いた後に、自分がそれ以外に気を付けている性質はないかと思い返してみると、父性と母性、論理性、権威性、(情緒の)安定性などを見ていることに気付きました。

 

このようにして、人をタイプに分けてみる見方はフロイトやユングなど精神分析の世界のもので、ロジャーズ流のカウンセリングではそういうこと(解釈)はしない、ということになっています。

 

なので私も「あなたは外交的だからこうしたほうがいい」とか、そういうことはまず言いませんし、自分の頭でそういうことを考えることもありません。基本的に直感のみで話しています。

 

ただ、相手によって、言ったほうがプラスになりそうな場合には、言うこともあります。

 

自分で気づくのを待っていると著しく時間がかかりそうだとか、言うことによって著しく気づきが進みそうだと感じた場合には、状況をみて言っている場合があります。

 

かつて廣瀬先生と話していたときに、教えるということは基本的にしないほうがいいが、人によっては自分から気づくという働きが著しく弱かったり、ほぼ無い場合があるので、そういう人に対しては教えることも時には必要という趣旨のことを言われたことがありました。

 

廣瀬先生のテーゼは「教えない教育」でしたが、それであっても時には教えたほうがいい場合があったということです。

 

ただ、やはり教えるということは最大限に控えたほうがいいです。

 

なので、相手のタイプを分析してみたり、教えるというようなことは、極力しないようにしています。

 

教えないって簡単そうに見えますが、これは実はすごく難しいんです。吃音がよくなればなるほど、こうすればよくなるというのが分かってくるので、すぐ教えたくなります。

 

それを口に出さないで、何も言わずにそのまま帰っていくというのは、教えることよりよほど難しいんです。教えてしまえば(口に出してしまえば)すっきりすることができますが、黙ったまま帰るとそれができません。

 

なので、だいたいの人は教える(口に出す)ことですっきりして帰ろうとしてしまうんですが、そうすると、その人はすっきりするけれども、言われたほうはあまり気付きがない、ということがよくあります。そこでじっくり機を待てるかどうかが分かれ目になります。

 

こんなふうにやってると、カウンセリングというのはすごく疲れます。しかし、疲れるというのはちゃんと話を聞いているということなんです。話をうわべでしか聞いていなかったり、自分の言いたいことだけを言っていれば疲れません。

 

疲れるかどうかは、相手の話をきちんと聞いてるかどうかのパラメータになります。

 

かつて廣瀬先生に「カウンセリングしているとすごく疲れるんですが、先生はどうですか」と聞いたら、「一日に何度もカウンセリングしても、疲れなんか感じたことない」と言われたことがあります。それで自分ももっとレベルアップすればそうなるのかと思っていたのですが、亡くなった後のご家族の話では、教室の翌日は寝込んでいたそうです。ああ、やっぱりそうだったのかと思いましたね。

 

もちろんクライアントがよくなる姿を見ることによって、元気になる部分もあります。廣瀬先生もそれが楽しみで東京に通っていたのでしょう。ただ、同時に疲れる部分もあるということです。