大学での講義その後 | ひろせカウンセリング若手ブログ

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吃音自助グループ廣瀬カウンセリング東京教室の、若手メンバーによるブログです。

以前のブログにも書いたのですが、昨年度から転職して大学教員をしています。

 

大学教員なので、当然ながら授業もします。いまは本務校6コマ+非常勤2コマで計8コマ担当しています。

 

このうち6コマは普通の講義形式の授業なので、ずっと喋りっぱなしです。実際には途中で練習問題を解いたりする時間があるので、90分全部喋っている訳ではありませんが、おそらく70分くらいは話しています。

 

ここで吃音だとやはり吃らないかということが気になるかと思いますが、今では98%くらい吃らずに話しています。一コマあたり数回程度突っかかるときがありますが、それ以外はスムーズです。

 

こんなふうに、いったん治るサイクルに入ると、最初は多少吃ることがあったとしても、そのうち喋られるようになります。

そのうち治ることが分かっているので、吃ってもべつに気にならないし、「悪化するのではないか」と心配することもありません。

 

江戸時代の武術の道歌で、「切り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ」という言葉がありますが、それは吃音にも当てはまるように思います。

とはいえ、とにかく突っ込めば解決するということではない(たまに勘違いされる方がいますが)ので、そこは慎重にやる必要がありますが。。

 

コツとしては、自分にとって何が刺激だったのかとか、どんな症状があったのかに、(良い悪いの価値判断を置かずに)意識を向けることですね。

「くやしい」「苦しい」「辛い」「悲しい」とか、「しまった」「まずい」「やばい」「どうしよう」といった情緒的に湧き上がってくる感情は、それに振り回されるのではなく、「自分はいまくやしいと思っているのだな」と自覚します。

 

これができるようになると、その場に不相応な(過剰な)不安・緊張・恐怖や、それによって引き起こされる吃音の症状は、不合理なものとしてやがて消えていきます。

 

ただ、これは実際にやってみると結構難しい。「気にするな」といっても気になる感情は抑えられないからです。

この場合は、「気にしないほうがいいことを知りながらも気にせずにはいられない」状態に自分があることを自覚します。

無理に抑え込んだり、増幅させたりする必要はありません。そのままにしていればいい。

 

吃音にせよその他の神経症にせよ、不適応の状態にある人は一つの考え方に凝り固まっていることが多いので、その中で試行錯誤するよりも、むしろ凝り固まっていることを知ることが突破口になり得ます。