父が施設に入りました。


施設の方が、問い合わせの段階からとてもとても親切で、、、

知らなかった補助の事も教えてくださったりして…

補助って、税金を使うことだから、こちらが聞かないと行政は教えてくれない事ばかりなんですよねーーー。


特養は何年も待つ人がいると聞くけど

父の場合は幸運なことに2週間くらいで入れることになったのです。


支度や、必要なものなどは姉が準備してくれて

私は当日ではなく、施設に入った翌日、会いにゆきました。


施設は病院が併設されていて、透析を受けている父を預けるのは非常に安心。


新しい主治医の先生方とお話しをしたのですが、

その時間を待っている間ロビーで流れていた、

認知症についてのアニメーション映像。


認知症を発症したご主人と、介護する奥様、老夫婦が写っていました。

「いろんな事を忘れていくから、

自分が何を言ったのかも分からなくて、何を言えばいいのか、これを言っていいのか、と不安になる」と画像のご主人が言うのを見て、すごく腑に落ちたのです。


分からないから、不安になる。


そういえば、実家で父を見ているとき、

キッチンやトイレの前でうろうろする父に

「どうしたの??」と声をかけると、慌てて

「なんでもない、なんでもない」と父がよく答えました。今思えば、なぜ自分がここにいるのか、なんのためにここまで来たのか分からなくて、それを伝える言葉も忘れてしまって、不安でしょうがなかったんだな…と

もっと優しく声をかけてあげれば良かったな…と映像を見ながら考えました。


父の個室に向かったところ、

ニコニコ。


清潔な個室で、椅子に座っていた父

私の顔を見ても、まだ分かるようでした。


「仕事が忙しいから、大変なんだよ」

「まだ、仕事が残っているから。」

と、父の頭のなかでは仕事をしているみたい。

施設に入る前は、


どうして、忘れちゃうの??

さっき、言ったよね。この前も話したのに!

と、苛々して父に強く言っては

夜中に罪悪感で声を殺し泣いたりしていたけれど。


「そっか、そっか、忙しいんだね、大変だね」と…


私はやっと、父の認知症を受け入れる事が出来ました。


話が通じなくても

出来る事が少なくなっても

この先、私の事を忘れてしまってもいい


半年間、手探りで過ごした怒涛の日々は

嘘じゃなかった。


ケアマネージャーさんや、ヘルパーさん、

透析の病院の看護師さん達、話を聞いてくれた先輩や友人達。

みんなが父と姉と私を守ってくれました。


今も日本中で、家族の介護に奔走している方

(介護って24時間ですよね…)介護従事者の方、、

皆が少しでも暮らしやすい日本になって欲しいな。