花々が繚乱と咲き誇り樹々の葉が青々と芽吹き今こそが「春」。

 

春筆頭の「桜」も満開の時期を迎えた。

おかげで僕らはこれから幸せなひと時を過ごさせてもらえる。

 

「春」。

 

それは去年小さいながらも庭のある新居に引越した僕にとって「ため息の季節」のスタートでもある。

 

塀周りや芝生の雑草に加え庭の離宮梅やアオダモの散った花や葉の清掃は覚悟していたとは言え思いのほか重労働で去年春先から晩秋まで辟易とした思いが鮮烈に残っているから。

 

世話の大変さで言えばきっと「桜」は横綱格であろう。

 

満開から1週間で花が散り、先ずはその掃除。

雨の翌日などは花びらが道にへばりついて容易ではない。

そしてその後すぐ今度は油分の多い花軸が道に散乱しこの掃除も難儀の極み。

葉桜の時期に湧いて出る毛虫にも対処が必要でその後すぐ今度は大量の落葉掃除。

 

自宅の庭で「桜」を愛でようという家は尋常ではない覚悟が必要のはず。

4月頭から10月の初めぐらいまで1年のうち7ヶ月は桜に振り回される事になるのだから。

 

庭に桜を植えている家が近くにある。

満開の時期に塀越しにその美しさが目に留まる。

 

が、この家、「樹木の世話」という義務を放棄して久しい。

花が散ろうが花軸が散乱しようが色付いた落ち葉が前の道路を埋め尽くそうが全く意に介さない。

 

庭を持つものの宿命を放棄したこの「低俗な家」の「高貴な桜」が今年は特に不憫でならない。

 

庭のある時間を過ごすようになり、より鮮明に見えて来た不愉快な春の風景。

また、対価が支払われるとはいうものの公園の樹々の世話や清掃に従事される方々の労苦を今までより以上に感じる今年の春でもある。