こんばんは!またもや、ご無沙汰してしまいました。院長には夏休みも 夏痩せも ありません。
日本は今年 猛暑で、
総務省消防庁は2016年8月16日、同年8月8日から8月14日の一週間における熱中症搬送人数が5554人(速報値)であることを発表した。これで消防庁が掌握している今年の累計搬送人数は3万7428人(速報値)となっている。初診時に熱中症を起因とする死亡者は2人、3週間以上の入院加療が必要な重症判定を受けた人は136人が確認されている(【消防庁:熱中症情報ページ】)。
院長の学生時代なんで運動部で、夏休みも練習してました。合宿なんて 朝から晩まで。
あの時代は、何故だか 水を摂ったらいけない と言われてて。のど カラカラ〜。 死にそう。ぬわんて思ったもんです。
しかも、兎跳びや、じゅうさつ って呼んでたんだけど、正式名称は分かりません。まぁ、今では 信じられない運動をしてましたね。苦しくって 頭の中は、早く終わらないかなぁ〜。って。
でも、誰一人 倒れませんでしたよ。
癒しへの道道 昔と現在 を 読んでみて下さい。
一俵とは ひょいと持ち上げられる 重さ だから、決められたんですが、一俵 60kg を 現代 ひょいとは持ち上げられないですよね。
それだけでなく、昔の日本人は体力がすごかったらしい!
当時の外国人も驚くほどの体力だったそう。
証言を見ていきましょう!
証言を見ていきましょう!
証人①:ドイツの医師「ベルツ」さん
エルヴィン・フォン・ベルツ(1849~1913)
ドイツ帝国の医師。
-「ベルツの日記」より-
ベルツを驚嘆させたのが、東京から110㎞離れた日光まで一人で走り切った人力車夫の持久力だった。日光までは道中馬を6回乗り替え、14時間かけやっと辿り着いた。しかし二度目に人力車で行った際、前回よりたった30分余分にかかっただけで着いてしまった。
ベルツを驚嘆させたのが、東京から110㎞離れた日光まで一人で走り切った人力車夫の持久力だった。日光までは道中馬を6回乗り替え、14時間かけやっと辿り着いた。しかし二度目に人力車で行った際、前回よりたった30分余分にかかっただけで着いてしまった。
馬⇒6回乗り換えで14時間
人⇒1人で14時間半
人⇒1人で14時間半
しかも、人力車と乗車している人の重さもあります。人 ひとりで走ったわけではないわけですよ。
馬力よりも人力の方が勝っていた!!?
証人②:アメリカの学者「モース」さん
エドワード・S・モース(1838~1925)
アメリカの動物学者。
「車夫たちは長休みもしないで、三十マイル(約50㎞)を殆ど継続的に走った」モースはこの他に、利根川を船でおよそ100km下った時に一人がずっと櫓を操っていたことなどを記している。
いずれも明治時代に来日されたようですが、日本ではその前に
こんなのを着て戦っていた時代がありました。
30kg くらいらしいのですが、現代の人なら鎧をつけただけで、ヘトヘトでしょ。とても、刀なんて振り回すなんて出来ないと思います。
何時の間に 日本人はヘナチョコになってしまったんでしょ。
院長は 一俵を 持ち上げたいと思っているので、色々考えてたんですね。
はい。答えがやっと出ました。
続く、、、、